クラシックの音楽祭がなぜ100万人を集めたのか ~ラ・フォル・ジュルネの奇跡 片桐 卓也
2月あたまから実際に現地に演奏しに行くので、お勉強のために買って読みました。 (1月28日〜2月4日ナント、〜7日パリに居ります。どなたかパリで遊びましょう) ルネ・マルタンの戦略、すごいね。すごい情熱です。きっと素敵なオジサンなんだと思います。 これがクラシックに風穴を空けるかもしれないけれど、でも、これがクラシックの全てにはならないでしょう。 もちろん彼はそれを百も承知だと思うけれど。 音楽はシチュエーションの藝術でありますから、シィクに装って行く演奏会だって、大事だと思います。 センセイの鞄 (文春文庫) 川上 弘美 いや、泣きました。 センセイになんだか共感するところが多いのだ。似ているところもある(口が半開きなのを見ると、指をぱっと入れたくなってしまうとか、言葉使いをすぐに正すとか)。解説の中に、人によってどこに一番ぐっ、と来るかは違う、と書かれていたが、私の場合はここで決まりだ。 「ツキコさん、ワタクシはいったいあと、どのくらい生きられるでしょう」 突然、センセイが聞いた。センセイと、目が合った。静かな目の色。 「ずっと、ずっとです」わたしは反射的に叫んだ。 〜〜〜 この、残りの生へ静かな考察という場面、これはセンセイが老人だから、こう思うのではない。 自分は特別に若いわけでも、中年でもないけれど、それでも、どれくらい生きられるのだろう、と感じない日はない。 両親と静かな時間を持っていても、これはずっと続くわけではないと思うし。人々が時のなかを歩んで過ぎ去っていく時に、「ずっと、ずっとです」と叫ばせるもの、というのは、やはり永遠の価値をもっているものなのだ、と思わざるを得ない。波多野精一のいう通り「愛の時は永遠」なのだと思う。 蛇を踏む (文春文庫) 川上 弘美 読むとそわそわとする。気負っていない筒井康隆というか(確かに短編を読んでいると、筒井作品のあれに似ているな、とか、思い出すものは多いのだ)。この人はSF出身なんだ、ということを思い出させる。 本当に面白い。気味が悪いのに、いやじゃない。清潔な感じがいいのだろう。じっとり、べったりしていないから。読んでそわそわしながら、安心している。いやはや、感服しました。全てすんなり、好きです。名前や、大事な形容詞がカタカナなのも、好きだ。 溺レる (文春文庫) 川上 弘美 これももう、最高に面白かった。 「百年」は川端康成の珠玉の短編集「掌の小説」の中の佳作「不死」を、女から見た版にように思う。 「死んでから、もうずいぶんとたつ」なんて始められたら大変だ。とか、いやあ、面白い!面白い! 色っぽいのに、色っぽくない。全く肉感のないようなフワフワした書き様なのに、こちらも生活感のない生活をしているせいか、妙にリアリスティックに感じてしまうのた。 ふう。川上弘美作品はもう溺れるように読みたいものだ。 以上、読了。 今、川端康成の「古都」を読んでいる。こりゃまた静謐。上品。しんしんと心に静けさが染み通ってくる。 なんだか、以前、心友から、京都の素晴らしい料亭で、演奏のギャラ代わりに、それより遥かに高価な御馳走に与ったことがあって、その時のお座敷のしんしんと、ぞくぞくとした静けさとその安らぎ、雨が降っていて、その音も(この光景を一生わすれないだろうな)と思っていたことなどが急に思い出されて、ただ一晩の経験に過ぎないのに、古都の凄さ、京というまちの凄さを思ったことを思った。
by francesco-leica
| 2013-01-02 00:37
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