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我が師マイゼン先生

マイゼン先生のミュンヘンのご自宅にて。奥様手製のオープンサンドをつまみながら談笑。
(後輩の宮崎さん撮影)
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今日は、私のミュンヘンのお父さん、私のフルートに決定的な影響を及ぼして下さったパウル・マイゼン先生と奥様、門下の仲間達との夕食会に行ってきた。
先生ご夫妻は7月に来日されてコンクールの審査等、忙しい夏を過ごされて、帰国を前に我々芸大マイゼンクラスのレッスンと夕食会を開いて下さった。先生にとって大学での最後の正規の学生である我々はいつでも心配の種、もとい、楽しみ(?)であるらしく、1年ぶりの再会にも関わらず、さっそく音楽の話にもりあがった。
我々同士でも、卒業したり、オケに就職したりした仲間が一緒になる数少ない機会だったので、多いに旧交を温めた。名古屋から駆けつけて下さった先輩もいて懐かしかった。

他を知らないので、ウチだけの話ではないかも知れないが、芸大のフルート科は兎に角、仲が良い。強い連帯感で、私は外での仕事やら、コンクールやらでこの仲間達に会うと本当にほっとする。
その中でも旧マイゼンクラスは先生がまだ芸大の客員教授だった時、毎週のようにおさらい会を開いて、その後、先生と一緒にお茶かご飯、ということを7年間続けたので、友達とか、先輩後輩とか、ライバルを越えて肉親の感覚に近いものがある。これも先生と奥様もお人柄の賜物だ。実際本当に私たちはマイゼン先生に大切に育ててもらった。

先生は一人一人の成長に本当に心を配っていて下さり、私は会うたびに「論文はどうだ?」「すみません、まだなにも・・・」という、会話が繰り返される・・・。

マイゼン先生の笛メソードの根幹をなすもの、それは「自然」であることだ。
自然な呼吸、自然な姿勢、力まず、気持ちよく・・・そしてその背後では「ドイツ的」ともいえる、構成感が音楽を支えている。構成と解釈の重要性をいつも我々は言われ続けてきた。そこでは過度な感覚への寄りかかりや、盲目的な「個性」の暴力は慎重にさけられ、「そうである事の音楽的必然」がいつも求められてきた。それは時に理屈っぽく見えるときもあったが、先生の美音がそこに響くともう、「これしかないな」という気になったものだ。でも決して先生は自分の解釈を生徒に押し付ける事はなかった。いつも「今日の私はこの考え、明日は変わるかも知れない」とおっしゃったものだ。これは「自分で考えろ」というメッセージなのだと、しばらくたってから気づいた。

私のお世話になった先輩のお一人がマイゼン先生にフルートを習いだしたら体の調子が良くて、風邪をひかなくなった。という話を思い出した。
我々みんな、先生から、フルートを吹く事はこんなに楽しいんだよ、気持ちいいんだよ。ということを教えてもらったのだ。

そして、とにかくあの美音・・・レッスン中にあまりに美しすぎてこっそり涙が出る事が何度もあったが、あとで聞くと、他の人もやはりそうだったらしい。
甘くて、切なくて、柔らかい。あんな音で吹きたい。
by francesco-leica | 2005-10-06 19:38 | 日記


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