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人類の宝

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関口のカトリック東京カテドラルでバッハのロ短調ミサを演奏しました。

わたくしにとっての「最高の音楽」「無人島に持ってゆく音楽」は
バッハのロ短調ミサであります。

修士課程の時に、このバッハの「人生の卒業制作」とも言うべき作品を、小林道夫先生とカンタータクラブの仲間と一年間懸けて勉強したことは、わたくしの音楽人生における一大イベントでありました。

私はその間、演奏委員長として指揮者、フルート奏者、合唱として一粒で3回おいしい勉強をさせて頂きました。

バッハがその生涯の最後に取り組んだ大曲がこのロ短調ミサである、ということは既に定説になっている。もちろん現実的に作曲の必要があるからこそ作曲するわけだが(この曲の場合、ドレスデン宮廷との結びつきが強い)、それにしても、人生最後の曲が、最もキリスト教社会における普遍的価値を失わない曲、ラテン語のミサ曲、しかも、それはかつて書かれたことがないような変わった形式のいわばエキュメニカル的(カトリックとプロテスタントを合同させる運動)ミサ曲で、生涯をかけてバッハが手に入れた技術の粋をつくして書かれ、その百科事典的、形式のデパート的豊穣さは他に比すべきものは無い。

バッハの「人生の卒業制作」という喩えは、真実をついているとおもう。

その音楽史的、神学的意味を探っていくとそれこそ博士論文100人分くらいの分量になりそうなので
この際置いておくとして、最高に普遍的、総合的、絶対的価値を持った、真のクラシック音楽だと思う。

もちろん
マタイ受難曲も素晴らしい。

しかし、あの名曲、大曲よりもさらにわたくしがロ短調ミサに惹かれるのは
なぜなのだろうねえ?

マタイってのは、人と神様のドラマですよね。
ミサってのは、物語では、ないのですよ。あくまでもお祈りであって。

先ずは、ミサという形式に神秘的な力というか、真実がこめられているのだとおもう。
初代教会時代からの必死の祈りが集約された、2000年分のお祈りのこもった最強の形式美である。
聖書や、詩編、黙示録からとられた断片だが、それぞれにすごい意味がある。

そしてその意味や、もともとの聖書の意味をバッハはもちまえの絵画的描写力(それこそ想像力、創造力ですな)で、物語にしてゆくのだ。

最初のキリエエレイソン「主よあわれみたまえ」というのは、聖書のなかの物語で、目の見えない人が必死にイエズスさまに癒しを求めるお願いをするところから取られているそうだ。
見えない人が、見えるようにして下さい、という必死の祈り。それが最初の長大なポリフォニックな楽章に結実している。クドいくらいにひたむきなお祈りの歌である。
そして、感動的な最後の「我らに平安を与えたまえ」
小林先生が、静かに、「本当に、心から、人類に、今、必要な歌だよね」とおっしゃたのが忘れられない。リヒターの来日時に、ソロの歌手達も、涙を流しながら、この最後の合唱を一生懸命歌っている姿が衝撃的だった、とおっしゃられていた。
この曲は第1部のグラティアス「感謝し奉る」の転用である。
感謝の曲に、平和を求める祈りがかぶさると、どのような意味なのだろうか?
小林義武先生のおっしゃるように、バッハ自身の生涯への感謝、ととらえるのが私は好きだ。
作曲の最後に際して、バッハが常にいれた署名「終了、ただ神にのみ栄光あれ」
これが彼の書いた、曲の最後であることを考えると、十分にそう思える。
ゲーテが死に際して、自分のイニシャルを指で示したように、平和の祈り、感謝の祈り、そして
「終了、神にのみ栄光あれ」
これでこそ、十分に生涯最後の曲を自覚して作曲した、卒業制作の最後に相応しく感じる。
一声部で始る祈りが、広がって、広がって全世界をおおい尽くすように感じる。

雰囲気は違うけれど、ベートーヴェンの7番の2楽章もそんな感じ。

などなど、
そして、色々な形式の音楽、合唱、ソロ、デュエット、各楽器のオブリガート、キレイなの、勇壮なの、派手なの、地味なの、古い形式、新しい形式、和声的、対位法的、全てあって「おいしい」こと夥しい。
どの曲も本当に大好きで、甲乙付けられない。

生涯も何度でもやりたいのは第9でなくて、この曲ですね

できれば
人生の中で、もう一度、この曲に時間をかけて取り組んで、指揮してみたいですね

小林先生をはじめとする色々な素晴らしい指導者から頂いた知恵と、わたくしの音楽の全てと
キリスト者としての使命を懸けて、いつか取り組んでみたいと
この間の公演のあと、痛烈に思いました。


〜おまけ〜
私が音楽をやる上での糧としている小林道夫語録から(いつか本に纏めようと真剣に思っています)

全部の声部が喧しく聞こえる時
「自分が今、出している音が、なにかのアタマなのか、シッポなのか、いつも気にしてごらんなさい。
ほとんどの場合、後者だよね」

ロ短調の最初の4小節について
「重い和声だけど自然に、3歩踏込んで、カデンツ。それだけにしましょう。こけ脅しでなくてね・・・」
(大体の場合、とてつもなく大仰かヒステリックか、古楽の「悪影響」で空々しいほどあっさりか、どちらのかの演奏が多い)

あまりいい録音をしらない
リヒターはもちろんいいと思う。個人的に我が師匠のマイゼンが吹いているし。
ただ、ちょっとテンポとか、バッハの意図はきっとそうじゃない、というところがあるし、
わざわざ反古楽、みたいなのもねえ。

古楽のものではあまり好きなものがない。

小林先生は英国のキング指揮、キングスコンソートはなかなかいいとおっしゃっておられた。
確かに自然で、仰々しいところがなく好感が持てる。たまに歌手の変なアクセントが鼻につくときがある。
by francesco-leica | 2006-09-17 18:58 | 日記


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