2006年にヤフーブログに掲載したものを再掲。
写真を見て頂きたい。「Meisenstrasse」と書いてある。 ミュンヘンの街の真ん中、ミュンヘン音楽大学(昔のナチス党本部の建物だったそうだ)の目の前の交差点に立っている道路標識だ。 ここいらで現在地の地図を見てみよう。 あれ、あれれ? ここは「Meisenstrasse」ではない。 ここは「Meiserstrasse」が本当の名前。 どうしてこんな事が起こったのか・・・ 話はさかのぼる事10年。 ミュンヘン音大の名教授として名を馳せたフルートのパウル・マイゼン(Paul Meisen)教授はミュンヘンでの10年間の勤めをはたされて退官し、次は日本の東京藝術大学の客員教授に来られる事になっていた。 マイゼン教授は以前のデトモルト音大、そしてこのミュンヘン音大で素晴らしい成果を残されて学生達の敬愛を一身に受けていた。 教授がミュンヘンに在籍した10年間に全ドイツで100近いオーケストラのフルート奏者のポストが空いた。(多くて驚いちゃいけません。ドイツには180のプロオーケストラがあるのだから)そして、なんとその中の半分以上、60のポストをマイゼン教授のクラス出身者が占めたのである。 マイゼン教授の卓越した指導力、学生の個性をつぶさずに延ばす指導によってマイゼンクラング(マイゼンの響き)といわれる美音を身につけた学生達はオーディションでもコンクールでも快進撃を続けた。 その名教授がついに音大を去る日。 学生達は先生を見送った。 中に一人、特にマイゼン教授の薫陶を受けた笛吹き、ウ゛カン君はハシゴをもって出てきていた。 夜、彼は先生も含めた見送りの仲間とともに音大前の交差点に向かった。 ハシゴを道路標識に立てかけてするすると登るウ゛カン君。 彼は手に持った白いテープを Meiserstrasse のrの右下に縦に貼付けた。はっはっは。rが一瞬でnになる。 これで Meisenstrasse マイザー通りが、マイゼン通りになった瞬間。 みんなでその前で記念写真を撮った。 ウ゛カン君はそのあと日本の芸大にマイゼン教授のレッスンを受ける為に逆留学した。現在ベルリンでオーケストラに入って活躍している。 そして10年後。日本でマイゼン教授のお世話になった私は今回、先生のミュンヘンのご自宅を訪れた。3日間レッスンレッスンレッスン三昧、楽しい時間を先生、奥様との3人で過ごさせて頂いた。滞在最後の日、私は先生のご自宅を辞したあとミュンヘン音大を訪れた。 前の日に先生の車で音大の前を通り過ぎた時、「ほら、10年経つのにまだそのまま、さすがドイツだよ(笑)」と指差された、この標識をもう一度見て、写真に納めたかった。 音大を出て左に30メートル。道路の対角線上の標識はマイゼン通り。他の標識はマイザー通りだ。 パウル・マイゼン カール・リヒターとバッハを共演した世紀の名演奏家、そして名教師。信じられないような柔らかい美音は未だ健在だ。 ミュンヘン音大の前だけでも、永遠にマイゼン通りであって欲しい。 (後期:とうとう・・・、この偉大なるいたずらは、看板の定期的な取り替えで消え去る運命になったそうです。)
by francesco-leica
| 2010-01-25 15:55
| ドイツ特集
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