2008/1/19(土) 午前 0:55にヤフーブログに掲載したものを再掲載します。
ウィーンの魂 シュテファン大聖堂の御ミサ、聖体拝領に並ぶ人々です 最近私は、御ミサはアウグスティナー教会で与ることが殆どなのでシュテファンの御ミサにはあまり行かなくなってしまいましたが、以前は常宿からも近いこともあってよくシュテファンの早朝の御ミサに行っていました。なんせ、本当に近く、御ミサの鐘が聴こえてからあわてて着替えて飛び出しても充分間に合うくらいですから。時計が庶民の間ではまだなかった時代などは、本当にそのようにしてみんながミサに集まってきたそうです。 シュテファン大聖堂はウィーンのシンボルで、みんなからは「シュティッフル」と呼ばれて親しまれています。ケルントナー通りのデパートの名前もシュティッフルです。 町の真ん中の地下鉄駅「シュテファンスプラッツ」の出口をでると、いきなり頭の上にこの石の塊がそびえているので、初めてみると相当に圧倒され、ビビってしまいます。 これがヨーロッパの石の文化・・・とすごい実感しました 中も随分と豪壮な感じです 薄暗くて、ひんやりしていて、静かで モーツァルトの時代から、そのまま 厳かにオルガンが鳴り、聖歌隊の歌声が響きます。 御ミサの最中は、建物の前のほうと、後ろのほうを隔てる柵のところにガードマンが立って、一般客を入れないようにするのですが、ミサに与りにきた旨を伝えると入れてくれます。 しかし、早朝のミサとなると、まだ暗い大聖堂の中の主祭壇ではなく、脇の小祭壇で少人数で行なわれ 実に温かく、ほのぼのとした雰囲気 おじいちゃん、おばあちゃん達ばかりです あと、ウィーンでもペータース教会の御ミサもそんな感じでしたね、地元のおばあちゃんが数人、という御ミサでした (ブダペストのマーチャーシュ教会の6時半の御ミサも僕を入れて5、6人の御ミサでアットホームでした。パリのノートルダムでも平日の朝の御ミサではそんな感じでした) 言葉の不自由なところでも不安なく御ミサに与れるのは、ひとえに、ミサが世界共通、2000年かけて続けられてきた普遍の秘跡であるからです もちろん長い年月の中で練られ、少しずつ変わるところもあったでしょうが いつも日本で、日本語でうける御ミサと、ドイツ語の御ミサでも仕草も言っている内容もかわりません。 だから、ああ、ここはあの場面だな、とすぐにわかりますし 読まれる聖書の箇所も、世界共通で「この日はこの場所」と決まっていますから事前にわかっていれば 先に読んでくることもできます 「主の平和」とみんなで挨拶しあうところで、日本では周りの人と頭を下げ合うだけですが ヨーロッパでは、前後左右のみんなと握手をします これが好きです そのときに「日本から来たの?コンニチワ」と言ってくれる人もいます 僕はこのときに言うべきドイツ語をしらないので、みんなが知っている 「シャローム」(ヘブライ語で、平和の意)と言うようにしていますが、微笑んで「シャローム」と返してくれる人が殆どです 実体験として、歴史的経験として、知らない、言葉の通じない人同士が関わり、理解し合い、許し合わなければ今日を生きていけないヨーロッパという地において、共通の信仰、倫理感が発達したことをミサを通して体験できることは、ヨーロッパ文化の形成を理解する上で、非常に役立ったように感じます。
by francesco-leica
| 2010-09-19 16:42
| ウィーン滞在記
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