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雨の日の楽しみ

雨の日の楽しみは、なんといっても雨の音、だろうか。あと、雨の匂い、晴れの日には見られない青白く薄暗い世界。
「音」についてだが、部屋の中で耳を澄ませてしとしとと聴こえてくる外の雨の音も美しいが、わたしは雨が傘にあたる音も好きだ。本当は和傘にぱちぱちあたる音がよいのだろうが、わたしは残念ながら聴いたことがない。そうでなくとも、いい洋傘のピンと張られたナイロンの生地に雨のひとつぶひとつぶが当たってはパラパラと軽やかに跳ね返り瞬間弱まりながら着地してやがて生地の上をつつと流れる様を感じながら歩くのは気持ちがよい。情緒がある。
わたしは傘が好きで、愛用しているのは前原の京煤竹の柄、木製シャフトのものだ。
その前は和光の金属シャフトでキリキリ巻くと相当細くなるものを使っていたが、王者フォックス傘と違い実に軽い設えのせいだろうか、案外と金属シャフトが弱くごくわずか曲がってしまって持ち出すのがいやになった。
一度経験してみたいのは、ナイロンの生地ではなく、絹の生地の傘だ。よい音がしそうだ。
ロンドンの名店には売っているのだと思うが、わたしの周りの洒落者の皆さんでも、これを持っているという話は聴いたことがない。ナイロンの傘が主流になる前は、みな絹だったのだが、水を弾くのでなく吸うし、乾きにくそうだし、強度も低そうで、まあ今となっては見栄を張る為の傘だろうか。
でも素敵だと思う。傘など手遊びに持って歩くための非実用品で、実際にさせなくともよい、くらいのつもりで持つのだろうか。わたしは傘をさすのはよほどの場合だけで、小雨の場合は単にさすのが面倒なのと少々濡れるくらいなんとも思っていないのでささずにそのまま歩いてしまうほどだから、絹の傘も持つ資格はあると思うが、見たことも無いのでなんとも言えない。
予想だが、絹の傘の雨の音は、もっと静かで、奥床しいのだろう。
世の中には、どうせなくすからいい傘は持たない、という実に合理的な考えの人間がいる。
わたしはいい傘を何度もなくしかけてその都度ちゃんと手元に戻ってきている。なくすか、なくさないかというのは、盗まれる場合を別として、ようは無くしたことに気づいたあと、どこまで追いかけて探せるかという本人の意志の問題である。それになくすともったいないから使わないというのは、どうも言い訳じみている。なくしたっていいではないか。
だいたい高価といってもメルツェデス1台の約200分の1するかしないか。これで雨をしのぎ露をはらい、杖となり武器となり、気分良く片腕の装飾品となってくれるのだ(決シテ五百圓ノ傘ナド使ワナインダ、ボクハ)。宝石のように美しい女性を連れ回すエクスペンシィヴさに比べればなんのことはない。
故落合正勝は、傘は男にとって実用品以上に剣の代用品だ、と看破している。実用を上回るものというのは伝統的な社会ではよくみられるが、男にとって、スーツや靴や鞄に続くものの一つは傘かもしれない。
このところ、慈雨というよりはやや強めに自己主張した雨の日が続く。2本の前原傘のローテーションで乗り切るつもりだ。
もう少ししたら、大好きなバブアーを羽織るような季節になるだろう。待ち遠しい。
by francesco-leica | 2010-09-17 01:58 | コラム


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