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普遍的本質としての中国、文明の発見

 帰国してのち、自分の心の中にこの隣の大国への、またかの地の人々への尽きぬ知的興味がわき起こり、大げさでなく中国のことを考えぬ日はないほどだ。
 一体になにに、そこまで惹かれるのか。まず前提として、この自分の知的興味の中に、イデオロギーにまつわる現在の中国国家のありようはほとんど含まれていないことが特徴としてあげられる。今回の旅行において、意図して先入観を排除して人々の暮らしに触れたい、根源的な世界共通の人間の好意に与りたいという欲求は、そのまま実現された。つまり、自分の経験上からも知り得ている「知り合えば、誰でもかならず仲間になれる」という法則が成就された。今回の旅行によって、中国の市民を自分の仲間と認知できたのである。その上で、普遍的な本質、即ち文明として中国を発見できたことが、この旅行における成果ではなかっただろうか。
 最初に実感したのはその国土の広大さである。そして住む人々のおおらかさ、強靭さ、生への旺盛な意欲、文化の多様性を感じた。
 いくつか、日本にない美に出会った。京劇の水袖を使った踊りはまさに大陸的おおらかさを持つ美であり、意外であったが自分の中のヨーロッパ的なものへのあこがれと瞬時にリンクした。また食の豊かさはおおいにうらやましく感じた。いくら食べても尽きないという贅沢のあり方は資源の限られた我が国では倫理的に認められないもので圧倒された。いくつかの美味体験は、得てして、これでもかと思い詰めたうまさを求めてしまう我々の想像を超える、当たり前のすごさであった。私はそれを地元のおっちゃん達とあたりまえのように食したのだ。
 そこで、自分は「文明」というものの偉大さに気付いた。これは文化を超えた文明ではないのだろうか、という。
 翻って、日本には素晴らしい伝統も文化もある、しかし、これは文明とまで呼べないのではないだろうか。文化が内向するのではなく、外向することがひとつの文明の条件ではないだろうか。
 ここで強調したいことは、中国の体制、イデオロギー、国家としての状態の如何に係らず、運命的に我が国が中国文明の周辺国家であるという、私の中で「発見された」認識だ。旅行中に司馬遼太郎氏の中国文明について述べた著作を読んでいたが、やはりこの碩学も同じ認識であったようだ。実際に接して、結局、本流としての中国文明(文明という呼び名は重要である!)と、それと共にあった、東アジア諸国、これが元をたどれば同じ部分に行きつくのではないか、それは間違いなく大陸側にあるのではないか、という確信が生じた。文明といわず、本質的ななにか、と呼んでもよいと思う。体制が変わろうが、経済がどうであろうが、彼らは決して変わらない。外身がかわっても中身は変わらない、強靭なもの、それが文明であり、本質的なものではないだろうか。
 これらの認識は決して我が国を周辺国家と卑下した中国観ではなく、外の世界への柔軟性においては、我々の方が遥かに心も体も軽いということに気付くきっかけにもなった。西洋の受容についての進捗度は、はるかにこちらに分があるといえる。それは西洋音楽の受容についても同じことで、彼らの演奏を聴いたときに、異文化の美へのあこがれと共に、なにかアプローチの仕方にこわばった、本質と本質がぶつかり異質なものが同居している居心地の悪さを感じるときがあった。
 中国への知的興味と、本質的なものへの本能的尊敬、これと西洋受容において器用な我々のもつ技術をつなげた、中国との新しい関わりが将来可能ではないかと感じた。いずれ中国において西洋音楽受容の手助けをできたらと、真剣に考えている。中国には10万人のフルート学習者がおり、指導者の数が追いついていないという。彼の国と人々をもっと知り、役に立てる日が来るのを待ち望んでいる。
 中国は先生であった、兄であった、我々はいわばアジアの兄弟文化である。不幸な時代を超えてゆかなければならない。『我々は敵ではなく友人である/敵になるな/激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな/仲良き時代の記憶をたぐりよせれば/良き友になれる日は再び巡ってくる』(リンカーン)まさにこの言葉の通りである。
by francesco-leica | 2009-10-13 02:20 | アジア旅行記


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