カテゴリ:コラム( 17 )

親指で、持つな!

最近、売られているフルートの左手親指のセッティングが気になっている。
キーがでかすぎる、位置が下過ぎる、取り付けの角度も気になる。
アメリカの楽器でも、パウエルなんて好きなメーカーだけれど、昔の楽器のほうが持ち易かった。
特に最近の安物の、おそらくチャイナ産パウエルもどきは酷い。親指だけでなくて、もともと好きなメーカーだけに、あの安っぽさは許せない。

まあ、親指の話に戻ると、もともと日本の楽器は割と親指の作りは良くなかった。
ドイツの楽器の影響なのか、ベタ~ッと親指を「押し付けて」あるいは完全に「乗せて」あやつるスタイル。
まあ、日本人の手が向こうの人の手より小さめとしても、厚ぼったく、あたる面積が広かったりすると、なぜ?と不思議だった。

フルートは左の親指で持つものでは、ありません。
もちろん右の親指は完全に楽器の重さを乗せて、持ちます。
しかし、左の親指は、フリーの状態にしておかないといけない。

楽器を構えて演奏している時間の大半は、左の親指のキーは閉じられていることが多い、しかし、
だからといって、楽器の重量が左親指にかかる状態を許しては、たまに、でも確実に来る親指を離す瞬間に楽器のセットがぶれることになる。
左手においては、人差し指の付け根、ここだけにテンションをかけて、親指が離れて完全に浮いた状態でも楽器をキープできないといけない。
そうしないと、つまり、親指で楽器の重さを持つような要素があると、親指で動きのスムーズさや響きそのものをブロックしてしまうし、親指が離れる度に楽器が意図せず動くというのは大問題だ。第一、速く動かせないじゃないか。

親指で持たないと楽器が内側に廻ってしまう、という人がいる。
そうならない為に頭を使って、楽器の構え方を研究するべきだ。これは実に簡単なことなのだけれど。

ロットの親指や、昔のアメリカの楽器の親指の位置は、それができるところにあったのだけれど、
たぶん、それだと「持ちにくいじゃないか」という意見があったのだと思う。
笑止。左の親指は楽器を持つものじゃなくて、キーを軽く押さえたり離したりするだけのものだ。

最近の厚ぼったくて、平べったい親指のキーだと、動きがゴワゴワするし、ブリチャルディキーといつものBキーとの往復に洗練を欠く。本来、見えるか見えないかくらい親指を傾けるだけでブリチャルディをON,OFFできないといけないのに、最近の楽器は親指をグイ、とずらす感じで操作するみたいで動きに無駄が多いと思う。


という話をアキヤマフルートでしてきました。
ほんの数ミリくらい、傾きでいえば数度の話だそうですが、人間の感覚って繊細だよね。
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by francesco-leica | 2012-09-24 23:52 | コラム | Comments(0)

結構、恥ずかしいのではないか?

車内のテレビを見ているとドコモの宣伝をずっと流している。

携帯電話に向かって検索ワードを話しかける時代が本当に来ているのかしら。

自分が、携帯電話をおもむろに取り出して「京都、宿泊、予約」と、はっきり、きっぱり話しかけるところなど想像するとちょっと、情けなくなってしまう。
携帯電話の検索は、そっと、できるところが値打ちであって、100歩譲って音声入力するとしたら、誰もいない場所とか、タクシーの中だろうか。

なぜなら、携帯に声で自分の知りたいことを話しかける行為は、自分の感覚では(大げさかもしれないが、と断るが)車内で化粧するお姉さんの破廉恥に通じるものがある。何を検索するのかということは、実は甚だ個人的な秘密に属するものである。
「ラーメン、醤油、名店」など人前で機械に向かって話せるか。
これは言わば「恥」の感覚であって、これを理解しないNTTドコモは、やはり経営感覚が乏しいと思わざるを得ないのだが、これはあまり一般的な感覚ではないのだろうか。
日本の技術のイノベーションは、基本的に「機械がやりますからあなたは馬鹿なままでいてください」というサービスを目指すことが多いような気がする。

携帯端末も、どうやら、わたしの見聞きする範囲では、スペックはともかく、使い勝手はiPhoneが遥かによいらしい。iPhoneを超える端末を開発するために、切り札となるのが音声入力と、携帯テレビ、というのは失敗ではないかと危惧している。

かといって、ドコモと縁を切るのも時期尚早と考え、いまだに使い続けるものである。
ちなみに、わたしは携帯2台持ちで、一台はドコモの古い通常携帯(スマホではない)、もう一台がiPhoneだ。
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by francesco-leica | 2012-08-30 23:15 | コラム | Comments(2)

猿に読ませるつもりで書け。

常々、わたしは、文章はもとより、人に話をするとき(特にこっち)も「4歳児にもわかるように」ということを自分の戒めにして、人にもそう言ってきました。もちろんこれは比喩ですが、それくらいでちょうどよく、4歳児にわからないようなことに本質的なことは大して含まれていない、という確信があったからです。
そうしたら、もっともっと素晴らしい大先輩、大文豪が「4歳児」でなく、さらに過激に、猿に読ませるつもりで、とおっしゃっていると聴き、膝を打ちました。これは、読者を馬鹿にしているわけでは決してないと思います。
専門馬鹿の独り言にならないように、気をつけなくてはいけません。
でも、4歳児にわかるように、あるいは猿に読ませるつもりで書くというのは案外というか、とても難しいことです。
4歳児や猿は、文章を書きませんし講演もしませんので、これは即ち簡単に書け、話せというのとは違います。本質的なことを、平易な言葉で簡素にまとめる、ということだと思います。

以下は私の敬愛する、深野一朗さんのブログ「ジャージの王様」から引用させて頂くものです。
現代アートや建築、文学者、ファッション、もちろん音楽にも並々ならぬ造詣の深さを示されるブログは、私の愛読するものです。

http://classico-italia.blog.so-net.ne.jp/

~~~

先に福沢諭吉の読売評を記した。諭吉は、もともと俗談平話をよしとして、本を著した人であった。
こんな話がある。若き日の咢堂・尾崎行雄が、諭吉に、著述の心構えを、たずねた。
君は誰に読ませるつもりで書いている、と反問された。すでに何冊か世に送りだしていた尾崎は、得意げに答えた。「大方の識者に読ませるためです」
諭吉が一笑に付した。「猿に読ませるつもりで書け。世の中はそれでちょうどよいのだ」
ひと握りのインテリ層に、喝采されるような難解な書きぶりは駄目だというのである。「障子の向う側にいる下女が聞いて意味のわかる」ように書いてこそ、意義がある。
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by francesco-leica | 2012-06-25 21:46 | コラム | Comments(2)

飛行機(会社)好き

航空会社が、好きだ。飛行機が好きだし、飛行機に乗っていく旅行が好きだからね。
せっかくの仕事旅行が、電車や、車で行けるところだったりすると、ちょっとがっかりしてしまう。もし、無理矢理にでも飛行機で行けるところなら、多少割高であっても飛行機で行ってしまうね。

国内線ではほとんとがANA。スターアライアンスのマイルを貯めているのでね。
ヨーロッパ往復が多いので、マイルは結構貯まります。今まではルフトハンザに全部入れていましたが、今年からANAにも貯め始めました。
仕事の都合などで、どうしてもの時はしかたなくJALに乗ります。
ただ、個人的にはスカイマークを応援している。
はっきりいって、なかなか「まともな会社」です。
安く、安全に運んで、利益をあげる、という空運企業の基本に忠実な会社です。
(どこかのゾンビ会社が最高益だ、とか聞くと不愉快ですね。旧株主は暴動を起こしたい?)
ここの利益構造は非常に堅牢で、堅実です。
運行計画や就航地の選択もよく考えられています。

一時期、問題も起こしてニュースをにぎわしたこともあります、ここ最近は、サービス方針について色々騒がれているようです。はっきり言って、同社のサービスはどうでもいいです。旅行にとってサービスが重要な人は、値段が高くてサービスが良くてCAがニコニコしてくれる航空会社に乗ればいいのです。スカイに乗る人はサービスに期待いないで安く安全に目的地に着くことを目的をする人達だから、いいのです。ただ欠航率を見ると低くはないですから、大事な仕事で使うのはちょっと怖いでしょうね。

そのあたりを割り切って、でもシートピッチの余裕や機材の展開を見ると、スカイは近頃はやりのLCCとは明らかに違います。これは他の会社がどこもやっていないことです。
また日本の航空会社で唯一のA380の導入を決めている会社というのも素敵です。

むしろ、私にとっての問題は、ANAやJALが、はるかに重大インシデントを起こした場合に、マスコミはもちろん、その時はニュースにしますけれど、さほど長時間は騒がず、スカイが問題を起こした場合は遥かに大騒ぎを長時間する、ということです。どうも国交省に覚えがめでたくない会社のようですね。ふふ、応援しがいがあります。(乗りませんが、笑、乗らないでもできる応援をします。)

ここが全席ビジネスクラスのヨーロッパ便を飛ばして、さらにどこかのアライアンスに加入する日、日本の航空会社のシェアが変わるでしょう。期待しています。


その前に、878に早く乗ってみたいなあ。
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by francesco-leica | 2012-06-05 23:31 | コラム | Comments(0)

古い道フェチ

古い道、古い街道、旧道、というものが好きでしょうがない。
昔の地図をみたり、国土地理院の昔の航空写真を見たりして、隠れた古い道を探します。

あとは初めての場所でも経験上、これは新しい道で、こっちは昔からの道、とかわかるので、そういうときは率先して古いほうの道を歩くようにします。100年前、200年前、もしかしてもっと昔に、人々が歩いていた上を、今なぞって歩いているなんて創造しただけで興奮します。
あと、地形、傾斜、窪地、岡、などにやたら敏感になり、神社仏閣、お地蔵さんその他道しるべ系に出会う度に興奮し、由緒書きなど読まずにいられず、道の分かれ道なんてきたらもう人生の分かれ道のように両方ためつすがめつ眺めてどちらを歩くか決めます。

ウチの近くには、今の国道246号、厚木街道の旧街道(旧大山街道、矢倉沢往還)がはしっています。特に二子橋をわたってから、二子宿、溝口から山を登って笹ノ原、長坂、そのあたりまでははっきり、旧道の面影が残っています。しばしば、途中で電車を降りて、旧道をゆっくり歩きます。

旧道のなかの新道、旧道というのもあります。
うちの割と近所に、ヒモネリ坂というのがあり、突如立ち上る、という感じで急な坂が始まるのです。私の見立てですが、その界隈は溝口の西の際の部分で、崖になっています。おそらくその崖の手前は湿地帯だったように思います。街道はそれを迂回して、崖のゆるやかな部分を一気に駆け上がる形になります。急坂の手前はいま区役所になっていますが、昔は茶店かなにかがあって、その坂の上で、相模の農家から野菜を摘んだ荷車の一行が早朝、「なんとか節」を大声で歌うと、それが合図で、下の茶店は朝ご飯の支度をした、というのどかな話が案内板にありました。

その「ひもねり坂」の脇には、もうちょっとだけゆるやかな車用の道もあります。おそらく自動車の時代に作られた道でしょう。この2つの道は、1947年の米軍の航空写真でも確認できました。
その先は、陸軍の敷地になっており、その敷地をさけるため街道が大きく湾曲していますが、おそらく、その兵営の中でもさらに旧道、オリジナルの道は生かしていたのでしょう。おそらくその旧道の旧道を見極めて、それを今の道の上で再現することもできました。おそらく今の虎ノ門病院分院と中学校の間の道です。

この米軍の航空写真、実に詳細でおもしろいものです。
よーく見ていくと、ここそこに、今の道にも残っている痕跡をみつけることができます。
我が家の場所も特定できました。65年前は畠の真ん中・・・。
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by francesco-leica | 2012-06-05 01:47 | コラム | Comments(4)

時事ネタは扱わない

あまり時事ネタは扱わないようにしている。

みんなが言っていることはいわない、みんながいうことを自分も声高に言うこと、それを迎合という。
なぜ声高で言うのか、それは、いっていることが正義だからだ。
みんな正義が大好きなようだが、正義で国は滅びる。
汚職でも、天下りでも、増税でも減税でも、戦争でも、国は滅びない。
正義ほどあやふやなものはない。正義と人間の良心は違うものだと思う。

個人の自由を大切に。個性を尊重しよう。戦争反対。原発反対。役人の横暴を許すな。文化を守れ。「当たり前のこと」を見せびらかすポピュリズムが新たな暴力と化している。
当たり前ではないか。いつからこんな幼稚な国になってしまったのか。

今、兎も角所謂「正論」というものをとんと聞かないのが不気味である。情緒もきれいごともいらない、この国がよくなる具体的な話が聞きたい。なにかへの恐怖が原動力になっている人は好きではない。感情的なうえに、自分が正しいことをしていると確信していることで攻撃的になるからだ。

まずは安定即決政権の誕生、安定した電力の供給、円高の想定内への是正、
それから富の再分配、自国権益の追求(日本はこれをしない世界でも珍しい国)、安全保障の確立、産業構造の再構築(駄目な分野を守る必要はない)、

この中で、この国の限りある富を、どのように次世代の産業に生かすか、というのがポイントになる。
次世代の産業、おそらくそれはもう製造業ではないだろう、ましてや農業や漁業でもない。
おそらく、高度な研究開発、金融、一段下がって観光、文化、教育ではないだろうか。
最後に、日本は素晴らしい国なのだ。

これは今、なんとなく、程度に考えて、自分のことを含めない自分なりの「正論」なのだが。
さて、だから時事ネタは、いわない(結構いったかな)。
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by francesco-leica | 2012-06-01 02:17 | コラム | Comments(2)

Facebook

Facebookが大流行りだ。僕も使っている。登録を色々すませて、さあ、どうなるんだ?と思ってるや否や「知り合いかも?」に次々に(あ、はい、知り合いです)という氏名がどんどこどんどこ現れてあっけに取られるいるや否や次々に「お友達申請」が来て、一人もこちらからは申請しないうちに、辺り一面お友達だらけになった。どこでもドアと、タイムマシンが一緒に来たようだ、と思わず友達には言ったものだけど、こんな便利で面白いものもないと思う。
反面、いったいプライバシーはどうなっているんだろう、とも思う。あの手この手で興味の対象や、興味のある人物を洗い出してくる手法は不気味ですらあるし、スキャニングされているのだろうな、と薄々気づいている。だいたい、これほど便利なツールが無料であるわけないのだ。無料の代償が、我々のあらゆる情報、という訳だ。おそらく相手がFacebook上で自分の名前を検索したら、こちらにもそれとなく知らせてくる、とか、色々ソフトウエア上のお互いを結びつけるものがあるのだろう。
ただ、気味が悪いから、といって、じゃあ、使わないのか、と言われれば、こんな便利なものを捨てるなんてトンでもない!と思う。いずれにせよ、このネット空間でプライバシーもなにもあったものではない。平気でクレジットカードの番号を打ち込んだりしているし、クレジットカードが怖いなどという時代錯誤の人間もメールは使っている。メールだってその立場の人間がその気になればいくらでも覗き見も出来るし、フィルターも掛けられているよ、と言えば、ではメールもやめるのか?それはこの時代に生きる上で最重要のコミニュケーションを放棄することを意味する。その孤独に耐えられるか?僕は無理だね。それにインターネットと使う人と、使わない人で得られる情報量は10万倍違うんだっけ?すごい差です。
さて、それほど便利なFacebookだが、ひとつ困っていることがある。コメントなしで、いきなり名前だけ表示されて友達の承認してください、というやつだ。僕はこの便利な発明を、知らない人同士が結びつくための道具、とはこれっぽちも思っていない。知りたい人はこちらからコンタクトするし、美人はさっさと連絡先をきいてしまう。特に今からいきなり知らない人とFacebookで繋がる、というのは結構とまどうことなのだ。特にFacebookにはブライベートな事が載ることもある。特に自分から発信しなくても、友人のFacebook経由で自分の情報が漏れる、ということは多いにあり得ることだと思う、別に悪気でなくても、流れでね。だから、一応、自分の友人というのは、それなりフィルターの掛かったコミュニティの繋がりにしておきたいのだ。そこに突然、知らない人から友達申請が来る場合は、申し訳ないが保留(拒否)にしている。そして明らかに知り合いはメッセージが無くても一応、承認。あと、知らない人でも、メッセージが付いていて、この人がいったい誰なのか、なぜ自分に申請をしているのか分かる場合はだいたい承認している。困るのは、たぶん、どこかで会った事あるかなあ、とか、ん?覚えてないけど同窓生か?とか、もしかしたら偉い人なのかなあ?、とか、微妙な感じの人がいきなりメッセージ無しで申請してきた場合である。むげに保留にして、実はあの人だった!とか、実はすげー美人だった!とか後で分かると、何だかちょっぴり気分が悪い。友達申請するときはメッセージ一言をつけるべきだ、と声を大にして言いたい。

Facebookは、仲間うちの気楽なやり取りには本当に便利だけれど、もう少し深い事、本当に言いたい事、軽く口にしてしまうと誤解を招くかもしれないことを、僕はFacebookには書かない。だから、なんとなくこの近辺の事に興味を持ってくださっている方は、このブログをたまに眺めてくだされば充分です。
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by francesco-leica | 2012-03-16 02:06 | コラム | Comments(0)

イノベーション

米フィルムメーカー、コダックが破綻。西日の中、ライカの古い玉に、フィルムはコダクローム64。それにちょっと露出アンダー目に露光すると、なんとも言えない温かい色調になって好きだった。時代の流れとはいえ、写真の歴史と共にあった名門がつぶれるとは。伝統に胡座をかいていた訳ではあるまいが、時代と共に果敢に変化していかないと、大きな会社であっても駄目になってしまうということをまざまざと見せつけたニュースだった。我々の世界にも同じことが言えるだろう。肝に命じたい。
ライバルの富士フィルムや、コニカ(現コニカミノルタ)が生き残るために必死に多角化や企業提携を重ねて今も生き残っているのを見ると、やはりコダックに怠慢のそしりは免れまい。
アメリカの名門企業の破綻というと、車のビックスリー(ゼネラルモーターズ、フォードモーター、クライスラー)が多くの痛みを伴いながら破綻(経営危機)したことも思い出す。リーマンブラザーズの破綻は世界を震撼させた。巨大ゆえに改革が遅れ、そしてそれを国は守らずにさっさとぶっ潰してしまう。アメリカって国はすごいねえ。

音楽の世界でも、イノベーションが必要な業種は列挙にいとまが無い。
オケ、出版、レコード、音楽事務所、楽器・・・etc.

助成金のカットや企業献金の減少などで存亡の危機に立つオーケストラも多くあると聞く。CDや雑誌の売り上げもどんどん減少、演奏会に足を運ぶファンも少ない固定客頼みで、その少ないマスをいくつものコンサートで取り合っているに過ぎない。

これらの先細りの状態を経済の悪さのせいにして手をこまねいていては将来は無い。いつか経済状況がまた良くなって、音楽にもお金が・・・というのは残念ながら幻想に終わりそうである。

ピンチはチャンスというけれど、変化が激しい世の中だからこそ、冒険が思いもよらない成果を上げるかもしれない。
そして厳しい言い方をすれば、自分と仲間を守るためには、みんな一緒に、ではだめなのだ。
僕が所謂、業界団体とか組合、とか、そういうものが大嫌いなのは、みんな一緒に、という思想が嫌いなのだと思う。だれも考えたこともないような新しい素晴らしいやり方を考えた人間たちと、身を削って努力を重ねた人間と、既得権益にしがみ付いてアイデアもスキルもない古い人間たちが同じ条件下に置かれるというのはおかしいと思う。イノベーションを怠る者は切り捨てられてもやむを得ない。
切り捨てられるところがあり、生き残るところがある—その明暗を分けるものは何か、しっかり考えたい。
個人的には、特にオーケストラの運営とレコードの売り方については、いくつかアイデアがあるのだけれど、様々な業界のしがらみがある既存の団体では実現は難しいかもしれない。

これからますます厳しい状況になって、助成金、補助金、協賛のカットや廃止が出てくるかもしれないけれども、それはやむを得ないことだと思う。真っ先に切られるのが文化藝術、学術であることは大変残念だが、でも限られた予算を医療や介護、社会保障、そして教育に、という政治判断なら理解できる。補助や助成に頼って、甘えてきた業界の構造にこそ問題があると思う。なんでも、ジリ貧になる前ならまだ手が打てる。・・・今のうちに。いざそうなったときに泣きをみないように、努力するしかないのだ。頭をフル回転して。へこたれないように。
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by francesco-leica | 2012-01-21 00:15 | コラム | Comments(0)

これは声を大にして言いたい

よく曲目解説を書かせていただく上で、プログラムを制作する方に、声を大にして訴えたいことがあるのですが、

ケッヘル(モーツァルトの作品番号)、ドイチュ(シューベルトの作品番号)に、
.(ピリオド)をつけないで欲しいのです。

K. 301 とか D. 667 とか。

これは決して「間違い」という訳ではないのですが、「勘違い」とは言えるかな。
特にK.に関してはアメリカの研究者などは今でも使うことが多く、日本のCDなどでもこう書かれることもあります・・・。

このことを、わたしは10年以上前に修士論文を書き始めて、論文執筆担当教官の土田教授の指導を初めて受けたときに、強く言われました。

.(ピリオド)が付くのは省略、という記号ですが、決してケッヘルとドイチュは「略語」ではないのです。

国際的に認知された、モーツァルトの作品番号、シューベルトの作品番号です。
さすがにドイツの研究者で、この勘違いをおかしている人は滅多にいません。

例えば、バッハの作品番号を
B.W.V.と書く人はいないでしょう。

これはBWVが略語ではなくて、記号であるとみんな了解しているからだと思いますが、
KもDも一緒です。

ケッヘルと、ドイチュも略語ではありませんので、ピリオドは必要ありません。

モーツァルトの研究をしている人間として、これは声を大にして言いたいことです。

ちなみにドイツの研究者はKVと書くことが多く、わたしもKVと書くようにしています。
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by francesco-leica | 2011-09-05 23:41 | コラム | Comments(0)

私のライカ

人生最初のライカはM3です。ズミクロン50mm f2付き(固定鏡胴初期、谷溝タイプ)。
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16歳の春、芸高の入学祝いにもらった初ライカです。

ウツキカメラの数寄屋橋店でお店の人に初めてライカを買う旨伝え、選ぶ時の見方とか、いろいろ教えてもらいました。父と二人で、興奮しながら買いました。

その前から僕はもうライカ気違いになっていて、知識だけは店員さんなみに持っていて、買うなら2回巻きの後期型、と決めていました。

初めてのライカはM3で、これも決めていました。
しばらくはレンズもそうは買い足せないし、50mmで土門拳先生や、木村伊兵衛先生を目指そうと思っていました。

このM3には、随分と授業料をはらった・・・。
まずシーベルヘグナーでオーバ−ホールして、その数年後に巻き上げにトラブルがでて、
日暮里の安田さん(フォトメンテナンスヤスダ、もとシュミットの技術部長さん)に駆け込み寺しました。一時期、随分と安田さんのところには通いました。
学校の近いし、芸大のライカ使い、なんて珍しかったのかかわいがって頂きました。
安田さんのおかげで、本当にいい調子になりました。
なぜ昔のライカは半永久的に使えるのか、それはやはりいい調整の賜物なわけですよね。

軽く、もう一台キレイなM3買えるだけはつぎ込んだ(笑)。
安田さんの調整は本当に素晴しくて、しっとり、手に馴染みます、宝物です。

高校時代、毎日のように持ち歩いてあの絹のようなシャッター音にうっとりしていました。
僕は人物撮影にしか興味がありません。
逆に父は自然専門のアマチュアカメラマンです。
彼が若い頃に大雪山で撮った高山植物の写真がまだ図鑑にのっています。

街のスナップや、芸高の校内写真(ルーズな学校でしたから、授業中にパシャパシャしてた)結構撮りました。
大学一年の時に同級生達を随分撮って、これは今見ても傑作ぞろいです。
同級生のプロフィール用写真をエルマリート90mm(初期型)で撮って、なかなかいい出来で
それが芸能事務所の目に留まって、ついにデビュー・・・なんてことも懐かしい思い出。

そのあと、20歳になったとき、初めて自分で買ったM6が現在のメインです。

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田中長徳さんのおっしゃる通り、「石ころライカ」ですからもうゴンゴンガンガン使っています。
買った瞬間に、あのライカの赤マークは「下品」だ、という理由で塗りつぶされ、LEICA M6 というロゴも「見りゃわかるわい」とテープでマスキングされました。
M3と比べると、シャッター音も騒々しく(外のメーカーのどのカメラより静かだけど・・・)巻き上げもゴリゴリ、ファインダーも光ってみにくいし、どーしよーもないライカだね、と言いつつやはりメーター入っていると楽で、だんだんこちらがメインになりました。
別に凹んでも擦れても全然平気(M3だったら冷や汗だけど・・・)
もう角はクロームメッキが剥げてガンメタリックみたいな色になっています。
一番評価の高い最後期型(あのみっともないM6TTLになる直前)で、もうずっと35mmがつきっぱなし。

とにかく、僕はズミルックス35mm f1.4に惚れ込んでいまして、これ以上の玉はない、と思うくらいに好きなんです。
非球面ではありません、ボケボケフワフワのカナダ製初期型です。
だから35mmを使えるM6のほうがどうしても出番が増えてしまいます。
それにしてもズミルックス35mm、いいです、愛してるといってもいいね。

夜の室内、f1.4の解放で人物を撮るときの、あの、ピントが薄く濡れたように合って、前後がふわーっとフレア気味にボケてゆく様子が最高!!

M3は、じつは、今はほとんど出動していません・・・。適度に使用跡ありますけどかなり奇麗です。

ライカがなぜいいのだろうか、これは一つの奇跡といっていいです。
フルートで言えば、ドイツ人が作ったルイ・ロット、みたいなもの。
当たり前で、味がある、道具として完璧に近く、人間的、持ち主が全てをコントロールできる。

あと、我が家には私がウィーンで父へのお土産に買った、彼の生まれ年のライカ3Cがあります。
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by francesco-leica | 2011-03-06 19:20 | コラム | Comments(0)