カテゴリ:ドイツ特集( 11 )

ドイツ抵抗運動追悼所

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2008年ヤフーブログに掲載したものを再掲。

シュタンフェンベルグ街の13〜14番地

シュタウフェンベルグ街、旧ベンドラー街は昔から国防軍、今の連邦軍の中心の場所
そしてここは第2次大戦の時、陸軍予備軍司令部のあった場所です
その左隣は国防省です

7月20日事件(ヒトラー暗殺未遂事件)の首謀者シュタウフェンベルグ大佐をはじめ、軍の中枢にいた中心メンバーが、この中庭で即日銃殺されました

今は、ドイツ抵抗運動追悼所として、毎年7月20日には式典が行われる場所です

18時を回っていたでしょうか
その日は、朝シュパンダウ、昼グルーネヴァルトと重い場所を周り、夕方ここにたどり着きました
ほとんど行き交う人はおらず、小さな入り口から中庭に入り、しばらくそこにたたずんで出てくるまで、誰にも会いませんでした
中庭はとっぷり暗くなり、空だけ、わずかに夕暮れの名残の色・・・

ベルリンはすごい街です


1944年7月20日に
ドイツのために
ここに死す

ルートヴィヒ・ベック上級大将
フリードリヒ・オルブリヒト歩兵大将
クラウス・グラーフ・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク大佐
アルブレヒト・リッター・メルツ・ヴォン・クヴィルンハイム大佐
ヴェルナー・フォン・ヘフテン中尉

あなた達は恥辱に甘んじなかった
あなた達は抵抗した
あなた達は送った
改心の偉大で目覚めた合図を
自由と正義と名誉のために
あなた達の熱い命を犠牲にして




このあと、すぐ隣のゲメルデギャラリーで素晴らしい絵を眺めていたら
今日それまで見てきた重い重いつらい過去に向き合って凝り固まってしまった心が、これらの絵の素晴らしさにゆるゆると溶けていきました
そしてこれが同じ国、同じ街での出来事ととても信じられない気持ちになりました
この日初めて、絵の美しさへの感動と合わさって、泣けて泣けてしかたありませんでした

あの橋、あの駅のホーム、中庭、そしてこれらの絵、これが同じ人間のすることなのかと思って・・・
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by francesco-leica | 2010-01-25 16:04 | ドイツ特集 | Comments(0)

古都シュパンダウ、シャルロッテンブルグ橋と市庁舎タワー

2008年ヤフーブログに掲載したものを再掲。

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ベルリン攻防戦、最後の舞台がベルリン西方、この写真のシャルロッテンブルグ橋と、右側の古都シュパンダウ市庁舎のタワー

すでに戦争の大勢は決まり、ベルリンのほとんどは赤軍に制圧されていました
ヒトラーは自殺し、ベルリン防衛司令部の降伏も時間の問題だったころ
生き残りの部隊と、数千数万の避難民達の最後の希望は、赤軍制圧地域から西に逃れ、友軍と合流した上で、赤軍ではなく、アメリカ軍の占領地域で降伏することでした

赤軍に捕まったらどうなるかわからないという恐怖、共産主義への恐怖や憎悪が、最後の戦いに疲れきった兵士や市民を駆り立てたのです
実際、復讐の怒りに任せた赤軍の暴行略奪、虐殺はドイツ中に知れ渡っていました

対する赤軍はナチス高官のベルリン脱出を非常に警戒していました
どさくさにまぎれてヒトラー(まだその死亡は疑われていました)などの高官が西に脱出することは絶対に阻止しなければなりません

包囲網の西側境界であるシュパンダウ付近は特に警戒地域でした
橋はまだドイツ側の手にあり、ヒトラーユーゲントの生き残りが守っていました

写真の左がベルリン市街地、川を渡って右が西側の脱出方向です

豪雨と、赤軍第47軍の交通遮断の猛射撃の中、生き残りの市民とボロボロの兵士達が橋に殺到しました
遮蔽物がないので、対岸の市庁舎屋上からの機関銃の掃射でトラックは炎上し、走ってわたる人々はバタバタと倒れ、その上を戦車が倒れた人々を踏みつぶしながらわたるという、阿鼻叫喚の巷と化しました
凄まじい大殺戮の舞台です・・・

とうとう、第9降下師団の小グループと、虎の子のティーガー戦車2台が市庁舎を急襲して占領し、脱出を手助けしました

橋はその当時のまま、今でも静かにハーフェル川にかかっています
この写真を撮った後、歩いてわたりました


シュパンダウには、このほかにも古都の面影をそのまま残す、美しい要塞が残っています
サリンガスの研究を行っていたこのレンガ作りの要塞は赤軍にとっての大きな障害で、その大砲の射程範囲にはハーフェル川にかかる前述の橋をおさめて猛威を振るっていましたが、降伏勧告を受け入れ、そこに避難していた市民も助かりました


ライカM6、ズミルクス35
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by francesco-leica | 2010-01-25 16:00 | ドイツ特集 | Comments(0)

17番線

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2008年ヤフーブログに掲載したものを再掲。

ベルリンのSバーン、グルーネヴァルト(Grunewald)駅
ここの貨物用ホーム17番線

ベルリンから大勢のユダヤの人々が収容所に送られました

前回のベルリン旅行は、私の中で、「過去と向き合う旅」として位置づけ、さまざなな歴史的な重い過去を背負う場所を訪れるミッションを行いました

その最初の場所が、ここ、17番線です

Sバーンを降りると、17番線(Gleis 17)という標識がありすぐに誘導されるようになっています
昔から保存されている地下連絡道を通って、17番線に出る階段を一歩一歩、踏みしめて上ります

線路と、ホームが保存されていました、白樺の木が、錆びた線路上に立っています

ホームの端には、ユダヤの方たちが運ばれた月と、運ばれた人数、行き先が刻まれています
アウシュビッツ、テレジアンシュタットなどのなじみ深い地名も・・・

たまにしおれた花が置いてあるのは、生存者か、ご遺族が来て添えられていくのでしょう

ほとんど誰にも会わず、じっと、深く思いをいたしておりました

線路の錆びた鉄の色が、印象的でした

テロやいたずらを警戒してか、警察の車が少し離れて泊まっていました

ライカM6 ズミルックス35
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:59 | ドイツ特集 | Comments(0)

最後の最後まで

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旅行の最後の時間を過ごす場所と言ったら空港である。

もちろん、ここでもビールは飲める。
ウィーンのシュベヒャート空港ではビールは飲まないけれど・・・

プラハの空港ではピルスナーを、コペンハーゲンではカールスバーグを、
そしてここ、ミュンヘンではフランツィスカーナー白の生を。

このフランツィスカーナー白は日本でも瓶に入ったものを飲むことができる。
なかなか美味しい。

これを飲むときには一つ決まりがあって、
必ず、一本500ml全て一度に注いで、一人で飲む。
つまり、白ビールの美味しい部分が、瓶の底の方に沈んでいるわけだな。
最初に注いだ部分と、最後に注いだ部分では大分味が違う。
それをグラスの中に注ぎながら混ぜて飲むわけです。

ドイツ人のおじちゃんとかが注ぐのを見ていると、瓶の最後にちょびっとだけ残ったビールを、くるくるっとかき混ぜてからジョッキにちょぼっ、とか出していた。

だから、白ビールを飲むための専用のグラスがあるのですよ、背が高くて一度に500ml注げるようになっている。私は持っていないのだけれど(だから家ではいつもチョビチョビ注いで飲む、邪道の飲み方です。)

さて、
ウィーンからミュンヘン空港に飛んで、そこで成田行きの飛行機を待つ。

さすがドイツ、50mおきにビアスタンドがあります。

ボーディングまで1時間くらいあったので
席についてゆっくりすることにした。
私の旅行の帰り道は、いつもみっともないほど大荷物になる。
お土産(ほとんどお菓子とビール)やら、ピックアップした靴やら、もちろん買いだめした楽譜もあるし、鞄はパンパン、両手に紙袋、という実に美しくない姿!
椅子にどっこいしょと荷物をおいて、
ビールの注文に行く。
注文すると、おばちゃんがドイツ語うまいわね、とお世辞を言ってくれる。
「いやあ、音楽の勉強してるから」というと納得。
そこで、大して読めもしないけれど、無料のドイツの新聞でもめくって、そのフランツィスカーナーの生に、ブレッツェルをつけてしばしゆったりと過ごす。
(ちなみにミュンヘンではだいたいフランツィスカーナーと、おなじみレーウ゛ェンブロイが、どこのビアスタンドにもあります。)

なんだか時間がゆっくり流れる気がする。
こっちの空港ってなんだか静かなのよね。
ビジネスマンもなんだか悠々として、私の隣で足なんか組んでビール飲んでるし。
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:56 | ドイツ特集 | Comments(0)

マイゼン通り?!

2006年にヤフーブログに掲載したものを再掲。
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写真を見て頂きたい。「Meisenstrasse」と書いてある。

ミュンヘンの街の真ん中、ミュンヘン音楽大学(昔のナチス党本部の建物だったそうだ)の目の前の交差点に立っている道路標識だ。

ここいらで現在地の地図を見てみよう。
あれ、あれれ?

ここは「Meisenstrasse」ではない。
ここは「Meiserstrasse」が本当の名前。

どうしてこんな事が起こったのか・・・

話はさかのぼる事10年。
ミュンヘン音大の名教授として名を馳せたフルートのパウル・マイゼン(Paul Meisen)教授はミュンヘンでの10年間の勤めをはたされて退官し、次は日本の東京藝術大学の客員教授に来られる事になっていた。

マイゼン教授は以前のデトモルト音大、そしてこのミュンヘン音大で素晴らしい成果を残されて学生達の敬愛を一身に受けていた。
教授がミュンヘンに在籍した10年間に全ドイツで100近いオーケストラのフルート奏者のポストが空いた。(多くて驚いちゃいけません。ドイツには180のプロオーケストラがあるのだから)そして、なんとその中の半分以上、60のポストをマイゼン教授のクラス出身者が占めたのである。

マイゼン教授の卓越した指導力、学生の個性をつぶさずに延ばす指導によってマイゼンクラング(マイゼンの響き)といわれる美音を身につけた学生達はオーディションでもコンクールでも快進撃を続けた。

その名教授がついに音大を去る日。
学生達は先生を見送った。
中に一人、特にマイゼン教授の薫陶を受けた笛吹き、ウ゛カン君はハシゴをもって出てきていた。

夜、彼は先生も含めた見送りの仲間とともに音大前の交差点に向かった。

ハシゴを道路標識に立てかけてするすると登るウ゛カン君。
彼は手に持った白いテープを

Meiserstrasse

のrの右下に縦に貼付けた。はっはっは。rが一瞬でnになる。

これで

Meisenstrasse

マイザー通りが、マイゼン通りになった瞬間。
みんなでその前で記念写真を撮った。

ウ゛カン君はそのあと日本の芸大にマイゼン教授のレッスンを受ける為に逆留学した。現在ベルリンでオーケストラに入って活躍している。

そして10年後。日本でマイゼン教授のお世話になった私は今回、先生のミュンヘンのご自宅を訪れた。3日間レッスンレッスンレッスン三昧、楽しい時間を先生、奥様との3人で過ごさせて頂いた。滞在最後の日、私は先生のご自宅を辞したあとミュンヘン音大を訪れた。

前の日に先生の車で音大の前を通り過ぎた時、「ほら、10年経つのにまだそのまま、さすがドイツだよ(笑)」と指差された、この標識をもう一度見て、写真に納めたかった。

音大を出て左に30メートル。道路の対角線上の標識はマイゼン通り。他の標識はマイザー通りだ。

パウル・マイゼン
カール・リヒターとバッハを共演した世紀の名演奏家、そして名教師。信じられないような柔らかい美音は未だ健在だ。
ミュンヘン音大の前だけでも、永遠にマイゼン通りであって欲しい。

(後期:とうとう・・・、この偉大なるいたずらは、看板の定期的な取り替えで消え去る運命になったそうです。)
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:55 | ドイツ特集 | Comments(0)

世界一のバウムクーヘン

2006年にヤフーブログに掲載したものを再掲。

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私、あるいは私の家族がベルリンに行った時、絶対に買ってくるお土産が「ラビーン」というお菓子屋さんのバウムクーヘンだ。
ガイドブックにも載っている有名(だけど小さな)店だが、場所がかなり不便な所で、このお店以外にあまり見所があるような所ではないので訪れる人はそう多くない。

なんでもポツダムの宮廷(フリードリッヒ大王のサン・スーシ宮殿)御用達だったそうで、歴史のあるお店のようだ。
徹底して厳選した自然由来の材料しか使わないこだわりで、兎に角「真っ当」な味。「ああ、これがバウムクーヘンの味だね」という正統派のおいしさで、ウチの家族は大ファンとなっている。今回も大きなカタマリを3つ、旅行中ずっと壊さないように担いで日本に持ち帰って来た。

U2を終点のラートハウス・シュテーグリッツまで乗り、隣接するSバーンの駅の下をくぐって南側にでる。
目の前から伸びているMittestr.をずんずん歩く。道なりに曲がったり、林の中の小道になったり、空手道場の前を通ったり・・・とにかく歩くと、10分程で見えてくる筈だ。

バウムクーヘンは他にはミュンヘンのクロイツカムもおいしかった。今回、ドレスデンで支店を発見。クロイツカムはもともとドレスデンが発祥の地で、バウムクーヘンもザクセンのお菓子らしい。
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:50 | ドイツ特集 | Comments(0)

ドレスデン大王

2006年ヤフーブログに掲載したものを再掲。
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ドレスデン在住のフルート吹き
水中メガネかけてタマネギみじん切りの図

私の直属先輩である芸大博士課程のドク諸氏(通称)は留学して現在ドレスデン音大において研鑽中。私のバッハ仲間であり、大事な花札仲間である。ドレスデンではいつも部屋に泊めて頂いたり実にお世話になっている。

秋にお世話になったときには得意の手作りハンバーグをごちそうになった。

タマネギをみじん切りにするときに水中メガネをかけているのには大受けした。彼は大まじめで「これがいいんだ」と宣う。
実においしかった!白ビールと、白いご飯、みそ汁と旅行中に恋しくなる味の数々に感激だった。

このときの滞在では彼の音大での演奏会に賛助で出演させて頂き、良い思い出を作る事が出来た。
彼の留学先の先生、ハウプト先生はドレスデン・シュターツカペレの首席奏者だが、実に良い先生だった。快活で理論派、すごいテンション。レッスン中に「モリオ!モ〜リオ!」と歌いだすのには恐れ入ったが・・・日本人じゃありえないテンション。でもとても楽しく、実践的なレッスンだった。
「日本人は実に知性的によい音楽をするが、アーティキレイションが曖昧なのはなぜだろう」という意見は実に痛かった。私が言われた指摘のほとんどが、アーティキレイションに関する事だったと記憶している。曖昧なタンギングは一切許されなかった。

演奏会のあとの打ちあげではドレスデン在住の日本人の皆さんと楽しいひとときを過ごす事が出来た。

(後期:その後、帰国された先輩は関西の国立大学の常勤講師に決まりました。)
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:48 | ドイツ特集 | Comments(0)

ついに降られた!−ベルリン

2006年ヤフーブログに掲載したものを再掲。
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妙なジンクスがあってヨーロッパで雨に降られた事がない。

軽く、さらさらって降って、少しコーヒーでも飲んでいると止んだり、
夜のうちに降って朝になると止んでいたり、そのくらいはあるが
傘をさす程の雨にあった事が本当に無いのだ。

大好きなヨーロッパ訪問に際しては、つねに晴男振りを強烈に発揮してきた。
最近では傘を持っていく事もしなくなった。どうせ降らないし・・・もうすごい自信である

なかでも、昨日までずっと降っていたのに、私が来たとたんにぴたりと止み、滞在の間ずっと快晴で、私が日本に帰っってから雨が降った、なんて事があってヨーロッパ在住の友人と我ながら「すごいね」と言いあったものだ。

それがついに今回破られた。

ドレスデンのみ快晴だったが、他の全ての街で空はどんより曇り、時には吹雪が吹き荒れた。

ショック、ヨーロッパ初降り・・・

しかし気を取り直した
これは私のせいではない!

今回同行した友人のせいにしておこう・・・

ベルリンの吹雪は幻想的だった
ホテルがUDK(ベルリン芸大)の目の前なのだが、朝、窓を開けると通りの向こうのUDKが見えない程。ちょっと散歩してクーダムまででると一面の雪世界にクリスマスの街の飾り付け、遠くにカイザーウィルヘルム記念教会が霞んで見えた。

写真はUDKからツォー駅の方角を見た所。
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:47 | ドイツ特集 | Comments(0)

ハンブルグ

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2006年にヤフーブログに掲載したものを再掲。


ハンブルグの港沿いの道を少し入った所にある教会、聖ミヒャエル
落ち着いた佇まいと、シンプルな内装、素晴らしいオルガンが大好きだ。
前回の訪問とほとんど同じで、観光はほとんどせず、おいしいレストランで魚料理とワイン、ショッピング(オーフさんの店でシャツをオーダー、あとラデゲ&エルケで小物を物色)、散歩、最後にこの聖ミヒャエルでハンブルグの一日は終わり。

ここはブラームスが洗礼を受けた教会だそうだ
ヨーロッパではクリスマスは1月6日の三賢王の祝日まで続いているので、訪れたのは12月28日だからクリスマスツリーも、クリッペ(イエスさまの生まれたベツレヘムの馬小屋を再現しているお人形)もそのままある。

ここの教会は温かい光に満ちていて、人も少ないし、いつもとてもいい雰囲気だ。
すぐにエルベ川沿いの泊地があってヨットや遊覧船がうかんでいる

小塩節先生が著書の中で、北海の灰色の海を眺めていると、心の中にブラームスのチェロソナタが流れてくる、とロマンティッシュなことを述べておられるので、私もマネをしようと、出がけ前に、わざわざカザルスとコルトーの2番を聞き込んでいったのだが、残念ながら私のイメージとは少し違った。ここはまだぎりぎりで北海ではなくエルベ川河口のせいか、想像力がこちらに欠けていたせいか、小塩先生の聞いたソナタが2番ではなくて1番だったのか、確かに水は灰色に見えたが・・・

私がハンブルグの街に降り立ってまず思い出したのは大好きなトーマス・マンの代表短編「トニオ・クレーゲル」の一番最初の箇所


 冬の太陽は僅かに乏しい光となって、層雲に蔽われたまま、白々と力なく、狭い町の上にかかっていた。破風屋根の多い小路小路はじめじめして風がひどく、時折、氷とも雪ともつかぬ、柔らかい靄のようなものが降って来た。


この光景を思い出した。
この小説の舞台は明らかにリューベックなのだが、まあハンブルグとリューベックは近い、私がこの箇所を思い出したのもあながち間違いではあるまい。
まさにこの描写のままだった。
次に冬にこのあたりにくるときはトニオ・クレーゲルを持ってこよう。

ここでの食事は断然、DeichStr.の「Deichgraf」無理に訳すと、堤防伯爵?をお勧めする。
新鮮な素材を生かして、しかも日本人にうれしい淡白な味付けだ。前回も訪れたが、実においしい。
亭主のマダムの客あしらいも実に好ましい。
帰り際に、壁にシュレーダー元首相とプーチン大統領がこの店を訪れている写真が壁に貼ってあるのを見つけた。納得。
昼の定食だと、値段も安くてお買い得です。
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by francesco-leica | 2010-01-25 15:46 | ドイツ特集 | Comments(0)

戦争の傷跡

2005年ヤフーブログに掲載したものを再掲。
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ベルリンの観光名所、カイザーウィルヘルム記念教会の外壁。
第2次大戦最後の激戦、ベルリン市街戦の弾痕が生々しく残る。

ここの教会は非常に美しい大きな教会であったが、空襲や市街戦で廃墟となり、その後、戦争の記憶を残す為にあえて廃墟のままに残された。隣には新しいモダンな教会もたっている。

この教会で有名なのが手の無いキリスト様。
過酷な空襲で、石造りのキリスト像の両手が無惨に吹き飛んでしまった。

その後、この御像は「平和の為に、あなたが私の手の代わりになって下さい」というメッセージなのだ、と受けとめられるようになった。

今回は初めてのベルリン滞在、ホテルに荷物を置いて、まずはこのキリスト様に会いにいった。
柔和なお顔が印象的だった。
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by francesco-leica | 2010-01-01 15:43 | ドイツ特集 | Comments(0)