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8番99番/から始まって、吠えます。

いやあ、難しい・・・
明日、カンタータの先輩の辻さんが指揮をなさる、アンサンブル14の演奏会で、
バッハのカンタータの8番99番を吹くのだが、さすが、
ビュッファルダンが吹いたといわれるだけあって難しいですわ。
1724年の9月に立て続けに作曲されたもので、
バッハが生涯に書いたフルートパートの中でダントツに技術的要求が高い。
高音域を使い(Gis3、A3)半音階進行を多用。

一回アリアを吹くと結構消耗する。
イベールの協奏曲を吹くとか、といった体力的なものではなくて
何となく、心が疲れる。楽しいんですけどね。

今日は通し練習。
なんだか集中できなくて、間違いが多くて自分に(珍しく)腹が立った。

帰ってから少し昼寝して、そしてさらう。

明日の本番は石橋メモリアルだから、早く学校行ってさらおうかな。

〜〜〜
ピースサイン、ああ、もう本当に大嫌い。
自分の子供にあれだけはさせたくないな。

うれしいことに、私がピースをしている写真は一枚もないはずだ。昔から嫌いだった。
みんなが意味無く同じことをする、ってことに抵抗があった。
私が小さいとき、ある大人が記念写真を撮るときに「はーい、ピース!」と言うのに
出くわして、子供心に、この人はなにを考えているんだろうか?
と思った記憶がある。自分だけピースをしないで写真におさまった。
普通に笑ってみんなと写ればいいのに、なんで変なオプションがいるの?

あれはその場の退屈しのぎの無意味なポーズでしょ。
昔はあれが平和運動の象徴の時代があって
それが伊丹十三さんのエッセーに出てくるんだけど

ベトナム戦争の時、世界的に反戦運動が盛んで、アメリカはまだ徴兵制だったから戦争に反対で、行きたくないのに多くの若者が激しい戦場におくられて大勢死んだ。ベトナム人はもっと死んだ。
東名高速を伊丹さん達が走っていると、戦闘激しいベトナムに送られる米兵達を満載した車列としばらく並走したんだって。
伊丹さんは、その中のジープに乗っている一人の若い兵隊と目が合った。すると、その兵隊がこちらに向かってピースサインを出したんだって。
伊丹さんの同乗者がやはりピースを返して、
「おーい!お前ら、死ぬなよー!」とか「殺すなよー!」と叫ぶ。
それが伊丹さんは忘れがたい記憶になったわけ。

これは本当のピースサイン使用だよね。読んで私も感動しちゃった。

それをねえ。退屈しのぎのポーズにしちゃだめよ。

最近減ったよね。ピース。
さすがにそういうことはアウトオブファッションである、という認識に社会が至ったのかな?
〜〜〜
電車で、子供を茶髪にさせ、迷彩模様の服を着せている母親にあった。
子供をガイジンにしてその後、傭兵にでもして自分たちは仕送りで暮らすつもりなのだろう。
母子で「んでさ〜、何何じゃん〜」と楽しそうに美しい日本語で会話していた。
〜〜〜
傭兵志望の日本の若者がいると聞く。

かれらは自衛隊に参加する人達とは全く違う。

自衛隊は国防の大義のために日々頑張っている。
給料はもらっているが、彼らの仕事は我々のためにある。
何かがおこったら、へなちょこの我々に代わって、血を流して下さる方々だ。
私は自衛隊とか、警察とか、消防とかの皆さんには、本当にありがとうと言いたい。
そしてならず者国家のミサイルから国土を守って欲しい。

傭兵志望の日本人達は、ぬるい日常から抜け出して、
自分を厳しい環境の中において、生きている実感が欲しいのだろう。
そのために殺し合うしか無いのだろうね。
必死に生きれば、この日本だってぬるいことなんか無いと思うのだけれど、
(オケなんて、結構シビアな世界で、神経すり減らすよ)
殺し合いをしたい子供を育てた親の顔が見たい。

世界中の戦場で、実際に戦うのはほとんど傭兵なんだってさ。
事情があるのかもしれない。
難病の子供の治療代を稼ぐため、自分に死亡保険をかけて傭兵になる父親が海外にはいると聞く。

戦争はこの世からなくさなければならない。
その前に独裁国家は地上からなくさなければならない。
真のリベラルな政治が地球上全てで実現したら、そしてみんなが豊かに暮らせる時が来たら、戦争は自然になくなると思う。
そうしたら傭兵なんて最低な仕事(あらゆる意味で)は必要なくなるし、そうしたらやりたい人もいなくなるんじゃない?
そうしても殺し合いたい人は、その人達同士で楽しめば(?)いいわけで、わざわざ戦争まで行く必要ないし。

壊す仕事じゃなくて、造る仕事、
殺す仕事ではなくて生かす仕事をしたいよね。

音楽と教育にたずさわる事ができて幸せに思います。
〜〜〜
さらにいうと

本当に
茶髪が嫌いなんです!!!
犬も歩けば茶髪にあたる世の中ですが・・・

だって、真剣に自己のアイデンティティーと向き合って、
自分の外見に対して責任を感じたら、どう転んでも
他人になりたい、ガイジンの外観になりたい、という選択は生まれないと思うんですよ。

アイデンティティー
自分は何者か、という問い
まず名前、年齢、性格、志向、身長、体重、髪の色、目の色、主義、主張。
そろそろさあ、自分に責任持とうよ日本人。

髪の色も目の色も、これはもう変わらないの。一時的に薬品を使って化学的に変えても。
一生、君の髪の色は黒いの。あるいは白くなる。はげになる。
それはもうしょうがないの。それが君なの。それを抱きしめて生き続けないといけないの。
髪の色に責任もたないといけないの。
逃げちゃいけないの!
本人は全くそんな自覚ないだろうけど、
茶髪の人は自分の本当の姿から逃げているのよ。
そろそろ気付こうよ。

ある女の子に、「日本人はやはり黒がいいよ」といったら「黒が似合うかは人による。」
と答えやがった。ふーん、今は「髪の色は選択できる時代なのだ」という。
議論しても無駄と思ったので「そう?」と流しておいたけど、ああ〜(悲劇)、という思い。

じゃあさ、君は科学とか医学が進歩して、完全に君のなりたい顔、なりたい体になれたらそれで幸せなの?
きっと整形しまくればなれるよ。

幸せはそんなことじゃない、ってことぐらい君も分かるだろう。

整形美人を内心馬鹿にしていて(そりゃ、してしまうでしょうが)、
君がしていることはこれと同じじゃないか。いや、全く同じです。

茶髪にして、君だって君以外の人間に「化けて」いるんだよ。

似合っていたって、もう君じゃないんだよ。

身体髪膚これを父母より受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり

これは真実だと思う。
茶髪を近くから見ると、酷い傷みようだよ

特別に、髪が金色だろうが、緑色だろうが、私が全然それが気にならない人もいるんだ。
自分の生き方に責任をもって、だれよりもリスクを背負って真剣に仕事しているひとだね。
むしろ、素敵だな、って思うくらい。

ほとんどの茶髪は、そんな資格はありません
だいたい、人工的で気持ち悪い。薬品だぜ。

擁護派と議論するつもりはない。

日本の多くの可愛らしく、心優しい茶髪の元オトメ達・・・ああ、もったいない!
中には黒髪好きの男もいるのですよ・・・
by francesco-leica | 2006-06-25 01:28 | 日記


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