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1歳違い夢の共演

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1887年製のニューヨークスタインウェイ、
カーネギーホールでその美音を奏で、ホロヴィッツが絶賛したピアノと、
私の愛器、1886年製のルイ・ロット

両者の共演が実現した。

私の尊敬する作曲家でピアニストの雁部一浩先生がお誘い下さり、今日は松濤でサロンコンサート。

そこでタカギクラウ゛ィア所蔵の上記の楽器を雁部先生が弾き、私は1歳違いのロットを吹き、雁部先生作曲のソナチネを演奏した。

おとといには、レコーディングもすませた。


なんというか、、、
信じられない程、音色が合う。

ピアノがどのようなフォルテを奏しても、決してフルートが吹き消される事が無い。
ポリフォニーのラインが明晰に描ききれる。

楽器の魂と魂が語り合うようで、
うまくいえないが、「これしかないな」という感じだった。

雁部先生のソナチネが、またじつにいい曲。
音楽の友社から出版されているが、シューマンが蘇って、フルートとピアノの曲を書いてくれたような
、ロマンティックで美しい小品。超おすすめだ。

どちらも古い楽器だが、全然、古い感じがしなかった。
反応がよく、コントロールが利いて、音色の変化も実に幅広い。
ピアノはささやくようで、フォルテはウルサくない。


一体、今作られている、ピアノも、フルートも、どうしてしまったのだろう?

眠ったような音で、鈍重で、やかましく、フォルテは塗りつぶしたようで、共演するフルートの音を全くかき消してしまう。(もちろん演奏者によるが)

フルートも似たようなものだ。
音そのものにメッセージがない。
(もちろん演奏者によるが)
そしてなにより美しいフルートが無くなってしまった。
美しいものは、性能もよいものだ。
ロットや、ヘルムート・ハンミッヒ、初代パウエルのような魂を持った美しい楽器が好きだ。


このスタインウェイは、実に演奏するのが難しいらしい。
素人がさわっても全く、元々持っているポテンシャルを発揮できないそうだ。


似た話だが、
私の大事な友人のピアニストUはザルツブルグ留学中に1930年代のハンブルグスタインウェイの銘器を入手した。私は彼の家(ザルツブルグ近郊の山中の素晴らしい家だった。)で彼が当時勉強していたモーツァルトを、そのピアノで聞いた。
その美音、玉の転がるような、というか、心にしみ入るような音だった。冗談でなく、涙がでそうなすばらしい音だった。
そいつの弾くモーツァルトが最高だった。

内田光子さんらのコンサート用に貸し出されていたその名器を、彼が手に入れることができたのは、ひとえに、彼にはその楽器を美しく鳴らせる技術があると、その持ち主が判断したからだ。

そのあと、私も少し触らせてもらったが、すぐにやめたくなるような惨めな音がしただけだった。

その点、今のピアノは素人にも少しは鳴らしやすいようになったのだろうか
きっとそうなったのだろう

フルートは実に吹きやすくなった
現在売られているほぼ全てのフルートは、材質を問わず誰にでも吹ける楽器だ。
しかしロットも、ヘルムートも、吹く人を選ぶ。
楽器へのリスペクトと、完璧な理解がないと
そもそも音がでない。

どちらがいいのだろうねえ。

あともうひとつ、昔の楽器は値段も高かった。
グランドピアノも裕福の象徴だった。
ルイロットはコンセルバトワールの教授が年収分はたいてやっと買った。

今は、誰でも買えるといってもいいだろう。

民主主義と技術の進歩が、銘器を生み出さなくなった原因だとしたら
皮肉なものだ。

ま、そのお陰で私のような庶民も、フルート吹いているんだけどね・・・


ハウエヴァ
また共演したい。と熱烈に願っている。
by francesco-leica | 2006-05-25 18:56 | 日記


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