IE9ピン留め
西安滞在記
中国に行って滞在して帰ってくるのは(それを旅行という)4回目ですが、だんだんと大陸の風土と文化に慣れていくわけではなく、今回は結構疲れました。最後の数日は身も心もギスギスしてきて気力で保っていた感じ。とっても楽しかったし、意義がある旅行だったんですけれどね。

昨年12月はまず前半戦で北アフリカはアルジェリアの国際音楽祭に参加。初めてのアフリカ、初めてのイスラム、世界中から集まった音楽家との交流、そして驚愕のチャイ5に、サバイバルと押し寄せる数々の感動に結構疲れて帰国して、一週間の東京滞在の間にレッスンと事務仕事、クリスマス明けにはそのままの中国の旅立った。

行きは羽田便のチャイナエアー。集合時間前に行くと、何人かの学生はすでに到着していた。教授にイーチケット控えを渡されて、自動チェックイン。奇しくもこの日は北朝鮮の独裁者の葬儀の日で、日本からその葬儀に参列する人達の一団が隅の方に固まっており、その周りには私服刑事とおぼしき複数の男性、そして私服警備員、空港警察があちこちに立ち、なんどか物々しい雰囲気であった。教授二人(ホルンとオーボエ)が笑いながら語ってくれたところによると、お二人は相当早くにすでに空港に着いてカウンターの近くで座って学生達を待っていたそうな。そうすると、私服の公安が現れ「すみません、今日はどちらまで?」「北京です」「北京は最終目的地ですか?」「いいえ」「・・・平壌ですか?」二人は公安のお出ましの理由を悟って、笑って「西安です」と答えると、公安の人達は去って行ったそうな。「『葬儀に参加する楽隊です』って言えばよかったな」とは、後からの笑い話。突然職質されたら、ぎょっとしたでしょうね。

平壌に葬式に行く人達と、西安にオペラをやりに行く人達は一緒に飛行機に載せられて、北京まで空の旅。

中国の航空会社は、これで、東方、南方、中華と三つのりましたが、いつ乗っても、もうノーサンキューな感じ。ひたすら雑誌を読み(ダイヤモンドの2012年大予測を買って行って正解)、読み終われば目をつぶり、早く着くことを願う。機内の全てが騒々しい雰囲気、耐えられない。

北京の空港はここ中国?と見違える美しさ、やたら人が多くてイライラする安全検査とイミギュレーションをのぞけば、快適な空港だと思ったけれど、乗り継ぎなくせに一度に荷物をおろしてチェックインし直さないといけないのは本当に不便な上に慣れない空港をトランクを引きずって歩き回るのは疲れた。

西安へはもっと小さな飛行機、西安の空港も2年前の記憶より、明るく、奇麗になっている。それにしても人が多い。人ごみが嫌いな人は来るべきではないね。
そして、恐れていたことが起こった。教授の荷物がひとつ、出てこないのだ。なんと、西安は2年前の旅行で、私もその教授も含めて10人近くの藝大関係者の荷物がロストして、受け取れなかった因縁の地。その時は数時間後に、「実は、荷物は西安に着いていたけど、出すの忘れてました」という笑えないお粗末な結末で、部屋で薄いビールを飲みながら待って、深夜には荷物が届いたのだった。一度あることは・・・。今回はその親愛なる教授の荷物だけ、北京で積み忘れて届かない。なんと気の毒・・・。2年前の旅の始まりでケチがついた寂しい気持ちを思い出した。荷物ないって、なんだか寂しい気持ちになるんです。結局、次の午後に、教授の荷物は届いたのだけれど、こういう事はよくあることだ、というつもりでいた方がいいのだな、というのが学習。実は2年前に一度その目にあってから、かならず一泊分の必要な荷物は持ち込み鞄に入れる。トランクにはタグがしっかりつけられているかチェックインの時に確認する。連絡先や目印を必ずトランクにつけておく。というのは実践してあった。

ロスト荷物騒ぎの後、やっと外にでると、提携の陝西師範大のバスまで案内される。通訳の皆さんは外語大の学生さん、本当に達者に日本語を話す(もちろん、日本には来たことがないのに、すごい)。さて、いつも通り中国はどこもかしこも霞掛かってぼやー、としている。そして息を吸い込むと肺が痛くなりそうな重い空気(気候だけでなくて、多分汚染がすごい。日本の放射能なんて目じゃないと思いますぜ)に、中国に又来たのだな、と実感。

市内に入る感じ、市内の大体も地理はもう頭に入っている。今回の演奏旅行は2回目の若者も多いので、バスから外を見て「ここ覚えてる〜」とか歓声がもれる。
それにして、朝早くに羽田を出た割に、西安に着くのはもう夜。こりゃ疲れました。ホテルは大学の中のお客さんと留学生用のホテル。前回は迎賓館のようだったが、今回はそこまで豪華ではない、シングル。でも清潔だし、快適です。困ったのは、どうも相性の問題で、Macintoshが部屋のLANを認識してくれない。ウィンドウズの人は問題ないようなので、Macintoshだけの問題。これには実に困った。3日目には何かの拍子にふいに繋がりだし、そのあとは大丈夫だったのだか、それまでは無理矢理携帯電話からメールチェック。これは不経済であった。メールが自由に読めないってことがこんなにストレスだとは・・・ネットに依存しているんだなあ、と実感。いいのか、悪いのか。悪いんだろうね・・・。

次の日からの怒濤の日々が予想できたので、ビールだけ飲んで、早めに休む。部屋は暖房が効いて、それほど寒くないのが幸い。


次の日、朝から大学の音楽学院(学部)で稽古が始まった。オペラ、《ドン・ジョバンニ》全曲。素晴らしいオペラ。日本勢とほぼ同数くらいの中国人の教員と学生達が合流して、歌い手も入る。中国勢も2年前と比べれば、すごい進歩だ。意識改革が進んでいるのかな、という感じ。最初の2日はとにかく、ダブルキャストの歌い手たちにオケをつけてあげないといけないので、朝から晩までドンジョバンニドンジョバンニジョンドバンニ。前回来た時に、最もショックを受けたもののひとつが、中国式お弁当。どんどんどんと白いプラスティックのパックが3つ渡される(2年前はこれが紙のパックだった)。この中の一つは白米(残念ながら日本の米のようにうまくはない)、残り二つのパックには、ビニール袋につめられたおかずが3つずつ、計6種類は入っているのだ。この、ビニール袋に入れて、という感覚に驚愕。しかしね、これがうまいのだ、実に。色鮮やかな野菜の塩炒めであったり、鶏のピリ辛あげだったり、食べ難い骨だらけの川魚の炒めだったり・・・支那料理万歳、という感じ。毎回、とにかくどんな場所でも中国で食す食事はおいしかった。多少、油っぽいとか、辛いとか、衛生に・・・などというのはあまり気にしない質なので、「本場感」のあふれる食事にはいつも楽しませてもらった。学食のお菓子売り場に売っていたエッグタルトの美味しさにもビックリ。なんとプリンの底には小豆が敷かれていた。こんなのは初めて。

若い子などは夜に屋台に繰り出したり、ちょっとした朝の時間に散歩をしていたようだが、どうも、アフリカからの疲れと、一応引率者の立場でいろいろ気を遣っていたせいか、まあ、2年前に散々見聞きした場所でもあるせいか、自由時間はほとんど部屋で過ごして、疲れを貯めないようにした。そのせいか、後半戦で学生達がバタバタ風邪気味に陥るところ、自分は最後までけろりとしていたのは正解だったのかもしれない。

責任者のホルンの教授(私は「社長!」と呼んでいたが・・・)は今回は藝大との提携校の調印など大仕事があり、そちらに多く関わっておられたことから、私は、基本的にはヴァイオリンと、オーボエの教授先生と私、という3人ユニットで朝ご飯から、夜の飲み会までだいたい一緒に過ごす、というパターンだった。ちなみ、今回の引率教員、全員元新日フィルメンバー。不思議な偶然。
そして、今回は調印式のために藝大学部長の先生も来西安、非常に豪華なメンバーだった。西安で懇意にしていただいている学部長にお会いして「やあやあ」などと握手したときはさすがに感慨深いものがあった。

そうそう、
ひとつだけ自分一人でちょっと冒険したのは、前から食べてみたかった、ヤンロウパオモウを2カ所で食べてみたことだ。
これは、名物のイスラム料理で、固いパンを千切って細かくしたところに、羊の肉を煮込んだスープをかけて、ふやかして食べる。同盛祥、という老舗でまず食べた。固いパンを指でいじいじちぎっていると、手が筋肉痛になってしまった。しかし、格別にうまかった。酢漬けのニンニクをかじりながら食べるのだ。もう一カ所、コテコテのイスラム街の中の下町の名店みたいなところ老孫家でも試してみた。そう何度も食べたいわけではないけれど、うまいものだった。これらを食べに町の中心部にでるために、今回、開通したばかりの地下鉄にも乗ってみた。





都合、西安では2公演。大学のホールで1回。町中の大劇院で1回。

右から、私、中国の先生、中国の学生さん。

町中でやったときは、お弁当を厳寒の外で食べないといけない、というめちゃくくちゃなルールがあって、我々はそれを拒否して外食することにした。どこも混んでいて、そのおかげというか、餃子で有名な徳発長の一階で食べた。なかなかリーズナブルでおいしかった。


その日は12月31日、日本なら静かな大晦日だが、中国は旧正月なので、普通の日。ホテルのもどると、なんと夜の11時55分。ホテルの一階ロビーで、みんなカウントダウン。日本人でおめでとうを言い合った。そのあと、学生の部屋でちょっとだけパーティー。学生達が昼間に買っておいたケーキが出る。大人は青島ビールのスペシャルなやつ、なにやら普通の倍くらいの値段で、バリング度が12%(つまり麦芽100%)のをプシュっと開ける。これはうまい。ちゃんと味のあるビールだ。部屋もそんな広いわけではないし、我々は礼儀正しく静かに騒いで、早々に寝ることにした。

元旦は午前中から西安観光、といっても、西安は広うござんす。特に、一度はみないといけない兵馬俑なんて、数十キロ離れているから、バスでぶっ飛ばしていかないといけない。この日はとんでもない霧で、高速道路が通行止め、数少ない一般幹線に流れた大量の車で、もうびくとも動かない大渋滞に。こういう、カオスは初めてです。行こうとする車、戻ろうとする車、曲がろうとする車、信号のない交差点などはもう大変なもので、ここに空爆を食らったら全滅だな、とう状況。お巡りさんも出てきていますがもうなす術ない、という顔。と、そこで大活躍していたのが、普通のおじちゃん達のボランティア即席交通整理です。数人のジャンバー着たおっちゃん達が、車の洪水を大声出しわめきながら指図していきます。鬼神のごとき働き!これが中国の不思議なところ。おじちゃんの力で見る見る渋滞が解消して、我々のバスも先へ行くことができました。ヒーローが現れて、なんとかしちゃうんだなあ。で、人々も決して非協力的な訳ではないのです。面白い・・・。


そうして、かなり寄り道をしながら、私と、一部の学生達には2年ぶりの兵馬俑です。2年前と比べると、土産物屋さんがドカスカ立ち並んで、商魂逞しいおばちゃんおじちゃん達が群がってきます。「不要、不要」と呪文を繰り返しながら前進。中に入ると、広大な敷地をゴルフ場のカートみたいな吹きっさらし電気自動車で移動します。これが寒い!そう、思い出しました。冗談のように寒いのですよ、ここは。



巨大な兵馬俑の迫力に圧倒されるも、まあ、2度目なので、一度目ほどの感動はなし、これはしかたない事だ。前来たときは写真を撮りまくったりしたけれど、今回は「ふーん」という感じで通り過ぎる。でもね、すごいですよ。ここは。一度は来た方がいい。歴史ってのは、こういうもんだ。と、島国の人達が衝撃をうけます。兵馬俑の後は、楊貴妃と玄宗皇帝が逢瀬を重ねた温泉、華清池を見学した。ここは歴史マニアにとっては西安事件(張学良や楊虎城によって蒋介石が拉致され、抗日統一戦線である第2次国共合作が始まった)の場所として記憶に刻まれている。蒋介石をおそった時の弾痕、割れたガラスがそのまま残っている。ドラマだ。ここは珍しい温泉が出る場所で、手を温める小さな泉がこんこんと湧いている。太古のロマンに思いを馳せてお手手をね、温めるのです。

その後、前回も訪れた、地元の餃子専門店で、これでもかといろんな茹でた餃子のコースを食べる。ここで、こちらの陝西師範大の先生が、陝西流の食べ方を披露。こちらの地方の人は辛いのが大好きで、山のようにドロッとしたラー油を餃子にかけて食べるのだ。ひいひい言っている日本の仲間もいたけれど、基本的には辛ければ辛い程闘志が燃える私としては、普通の辛さ、美味しかった。そして、世にも面白い飲み物を飲んだ。温めたコーラ!なんと、いけます。美味しいです。体にいいそうな・・・。確かにね。本場の餃子は大変おいしゅうございました。

そして、空港へ。北京に移動。
この時も衝撃的な事件が。まず、虎の子のホッカイロの大部分が荷物検査で没収された。持ち込み禁止の由。しかし、無事通過できた仲間もいるので、不思議だが、センサーに映る角度とか面積とか、あるのだろうと推測。ただし、事前に予測して相当に分散を徹底したので残りの日数分は確保されていたが、まあ、あまり気分は良くない。さらに、大事件は、2人のチェロ学生の為に席がダブルで購入(自分用と楽器用)してあったのだが、チェックインすると、なんと、満席で楽器用の席が無い、と言われたという。そして、搭乗カウンターでなんとかしてもらって、という中国流問題先送り術に学生二人は素直にしたがって自分の席の券だけ持って中に入ってきた。二人がカウンターでなにかけんもほろろにされて、不安そうにしながら帰ってくるので事情を聞くと「なんちゅうことだ!」と怒髪天を突いてカウンターに向かう。久しぶりにカウンターを叩いて喧嘩、というか抗議。ありがたいことにカウンターのお姉さんは英語が話せるので、どう考えてもおかしいでしょうが、席は買ってあるんだよ、どうするんだよどうするんだよどうしてくれるんだよ!楽器は高いんだぞ、貴重品なんだよおい、アイムソーリーじゃ済まないんだよ!とまくし立てる。ここは向こうも非を認めて、機内クルーがきっとスペースを見つけて楽器の安全は保証する、というので、必ず、お姉さん自分で最初にこの子達と楽器と機内まで行ってクルーに説明してくれるね、と念を推して引き下がったが、久しぶりに血圧が上がる出来事であった。この事件のあたりから、急速にこの国に滞在している間に知らず知らずに蓄積されてきたストレスを自覚するようになり、理不尽なことには積極的に抗議、警告、恫喝、実力行使を用いる事を決心する。

北京滞在記に続く。
# by francesco-leica | 2012-01-31 01:13 | アジア旅行記 | Comments(0)
完成!?

アキヤマフルートにゴリゴリして頂きに行くのも、この頭部管に関してだけで4回目です。
しかし、とうとう、(秋山さんも諦めて大胆に削ってくださったのか)やっと、気に入るものになりました。たぶん、完成です。
吹きやすさと、音色の豊富さを両立させることが出来たと思います。
ぱっと取り上げて、ドン!と吹いてもちゃんと音が出てくれて、ロットらしいころころ感もちゃんと残っている、というバランスのいいところです。音が派手なので、どちらかというと首席向きかな。
仕事でもがんがん使える頭部管を手にして、安心しました。

無理をして、息を入れるのが難しすぎる頭部管吹いても楽しくないばかりか、口を締め付けて(締めすぎて)吹く、悪い癖がついてしまいます。例えれば、唇はお馬鹿、お腹(支え)は利口、というのがひとつの理想の吹き方だと思っていますが、これが逆になってはいけません。

そのためにはある程度、口元を緩めて吹けるだけの歌口の余裕は必要なのです。その余裕が無くても細い奇麗な音を出すことはできますが・・・。

アキヤマフルートは、秋山さんの好みなのだと思いますが、オールド系楽器より吹くのが難しいものが多いので、材質とプレートを吟味して指定した後は、私のようにしつこく、秋山さんと根比べで通い詰めて、自分の気に入るまで歌口をゴリゴリし続けてもらえば、快適な愛用品を手にすることもできます。




イギリスのおみやげに頂いたミントの飴のような、仁丹のような、グロテスクな黒いツブツブ。なんだかハマってきました。まずいのに、止まらない!


〜〜〜
「手持ちの楽器を少なくしよう!」フェアー自主開催中で、使っていない楽器はお嫁に出したり、後輩に貸したり、大分理想に近づいてきました。

あと残るは、米名門オケの首席が2代にわたって受け継いで所有(愛用)した戦前ドイツの木管名器シュライバー。見た目美しく、音もビックリする程ふっくらと艶やか、作りはこれでもか、と凝っています。音程はアメリカ輸出仕様なので440、ちと低いが十分使えるレヴェル。そして、えっ!!とビックリのメーカーとのダブルネームの珍品です(私は最後はそれが気に入って購入、誰に聴いても見たことがない、と言いますが、なんとマイゼン師匠の師匠、ヨアヒム・ローレンツの愛器と同一モデルであることが判明して驚愕。若い日のマイゼン師匠のあこがれの楽器だったそうです)。新日や他のオケでも何度か登板させたのですが、やはり木管はしばらく使う予定が無く、手放します。ご興味あるかたはどうぞご連絡を。
# by francesco-leica | 2012-01-27 01:42 | 日記 | Comments(0)
イノベーション
米フィルムメーカー、コダックが破綻。西日の中、ライカの古い玉に、フィルムはコダクローム64。それにちょっと露出アンダー目に露光すると、なんとも言えない温かい色調になって好きだった。時代の流れとはいえ、写真の歴史と共にあった名門がつぶれるとは。伝統に胡座をかいていた訳ではあるまいが、時代と共に果敢に変化していかないと、大きな会社であっても駄目になってしまうということをまざまざと見せつけたニュースだった。我々の世界にも同じことが言えるだろう。肝に命じたい。
ライバルの富士フィルムや、コニカ(現コニカミノルタ)が生き残るために必死に多角化や企業提携を重ねて今も生き残っているのを見ると、やはりコダックに怠慢のそしりは免れまい。
アメリカの名門企業の破綻というと、車のビックスリー(ゼネラルモーターズ、フォードモーター、クライスラー)が多くの痛みを伴いながら破綻(経営危機)したことも思い出す。リーマンブラザーズの破綻は世界を震撼させた。巨大ゆえに改革が遅れ、そしてそれを国は守らずにさっさとぶっ潰してしまう。アメリカって国はすごいねえ。

音楽の世界でも、イノベーションが必要な業種は列挙にいとまが無い。
オケ、出版、レコード、音楽事務所、楽器・・・etc.

助成金のカットや企業献金の減少などで存亡の危機に立つオーケストラも多くあると聞く。CDや雑誌の売り上げもどんどん減少、演奏会に足を運ぶファンも少ない固定客頼みで、その少ないマスをいくつものコンサートで取り合っているに過ぎない。

これらの先細りの状態を経済の悪さのせいにして手をこまねいていては将来は無い。いつか経済状況がまた良くなって、音楽にもお金が・・・というのは残念ながら幻想に終わりそうである。

ピンチはチャンスというけれど、変化が激しい世の中だからこそ、冒険が思いもよらない成果を上げるかもしれない。
そして厳しい言い方をすれば、自分と仲間を守るためには、みんな一緒に、ではだめなのだ。
僕が所謂、業界団体とか組合、とか、そういうものが大嫌いなのは、みんな一緒に、という思想が嫌いなのだと思う。だれも考えたこともないような新しい素晴らしいやり方を考えた人間たちと、身を削って努力を重ねた人間と、既得権益にしがみ付いてアイデアもスキルもない古い人間たちが同じ条件下に置かれるというのはおかしいと思う。イノベーションを怠る者は切り捨てられてもやむを得ない。
切り捨てられるところがあり、生き残るところがある—その明暗を分けるものは何か、しっかり考えたい。
個人的には、特にオーケストラの運営とレコードの売り方については、いくつかアイデアがあるのだけれど、様々な業界のしがらみがある既存の団体では実現は難しいかもしれない。

これからますます厳しい状況になって、助成金、補助金、協賛のカットや廃止が出てくるかもしれないけれども、それはやむを得ないことだと思う。真っ先に切られるのが文化藝術、学術であることは大変残念だが、でも限られた予算を医療や介護、社会保障、そして教育に、という政治判断なら理解できる。補助や助成に頼って、甘えてきた業界の構造にこそ問題があると思う。なんでも、ジリ貧になる前ならまだ手が打てる。・・・今のうちに。いざそうなったときに泣きをみないように、努力するしかないのだ。頭をフル回転して。へこたれないように。
# by francesco-leica | 2012-01-21 00:15 | コラム | Comments(0)
近頃のうまいもの、個人的流行について


中国で、おじいさんたちが、クルミをクルクルやっているのを見て、これは指のコントロールにいいかもしれない!と思って、帰国してから「信州産殻付きクルミ」を買ってクルクル始めました。
いまのところ、まだ飽きてない(笑)
最初は慣れずに落としそうになりますが、もう今はどっちの手でもクルクルクルクルしています。脳の体操になるかな。



横浜シンフォニエッタや我々仲間を永年ご支援下さっている方のお宅に御年始のご挨拶に仲間と共に伺いました。そこで頂戴したウィスキーが素晴らしくてご機嫌でした。ブレンデッドはあまり飲まないのですが、このまろやかなで、品のある味と香りにびっくり。



これもまた頂き物ですが、日本製の新酒ワイン、シュトルムと書いてありますが、発泡しておらず、シュトルム風の甘い、美味しいワインです。ゴキュゴキュ飲んでしまいました。



上野学園の食堂のラーメン。
麺がよくサバけていないのが惜しい!でも、東京風のさっぱりお汁が好きで、たまに食べます。



昨日は、レッスンのあと打ち合わせ、そして新日のみなさんと、笛吹きの先輩方と恒例のお食事会in押上。スカイツリー見上げてみます。
酔香という、カウンター8席のみの素晴らしい日本酒バーで下ごしらえをして、後半戦がスパイスカフェで本格的カレーのコースとワイルドな美味しい赤ワイン。



その帰り道、酔眼で見ても、どうみても、「クリーニソグ」のクリーニング屋さんを発見。
押上・・・奥が深いです。

明日は、新日フィル、ハーディング指揮のマーラー9番聴きに行きます。楽しみ・・・。
# by francesco-leica | 2012-01-20 16:26 | 日記 | Comments(0)
久しぶりに家で
久しぶりに家で過ごしています。

新日フィルの任期が終わってからあまりピッコロを吹く機会がなかったので、久しぶりに出してきてさらう。
ピッコロと言えば、先輩から、海外メーカーの新作ピッコロのインプレッションが届いて心が動きます。素晴らしい!そうです。いいなあ、木のピッコロは長期的に探してはいるのですが、それほど本気モードにならないのはいま使っている銀のパウエルにあまり不満がないから、というのもある。
ひとつだけ不満は高音のGisのピアニシモが出しにくいこと。他にも何本かパウエルの銀管を拝見したことがありますが、わたしのよりもっと古い物がほとんどで、トーンホールの厚さもあり、重いので、吹き応え十分、威力抜群ですが、ひょい、と取り上げて吹く感じではありませんでした。わたしのはとにかく軽めに出来ていて吹きやすく、傑作だと思います。

Serial Number:1263
Completion Date:5/28/1953
Specs:Sterling silver piccolo, sterling silver keys
Model:Handmade Traditional Piccolo

海軍記念日に完成しております(笑)。
ロットと並べておくと美しい姉妹のようで・・・、見た目も銀のピッコロ、気に入っているのです。

でも、木の新作傑作ピッコロ、気になります。職人さんももうおじいさんですし、せっかくの円高時に買っておくべきか・・・。(話題のドイツのC足ピッコロです)
で、久しぶりにピッコロをさらって、自分のパウエルの吹きやすさにも惚れ直したのでした。
ピッコロは慣れもあると思うので、それだけ苦労して自分の楽器に慣れた、ということでしょうか。

来月、ペトルーシュカの仕事を頂き、こりゃ全編フルートコンチェルトのようなおっかない曲、ドキドキ。「火の鳥」と「春の祭典」はあちこちでやらせて頂く機会が多いのですが、「ペト〜」だけは学生オケで2番フルートを吹いて以来です。どれどれ、オケスタの本を取り出してきました。練習します。



数日前、アキヤマフルートでお借りしている14金リップ付きの巻き管銀頭部管をさらにゴリゴリして頂いてきました。ゴリゴリして頂くのはこの楽器だけで3回目です。音色のコントロールは以前の小さい穴の方がやりやすいですが、吹いていて実に安心な、「怖い仕事に安心して持っていけるレヴェル」になってきました。ようは、デカい穴になったということです。横が12mm、ロットの一番大きなサイズくらいでしょうか。

アキヤマの頭部管は本当に素晴らしいのですが、重要なのは、出来上がって「はい」と秋山さんに渡されたときはまだ、半成品なくらいで、そこから何度も何度も通って自分の好みの歌口に変えてもらう、という楽しみ(?)があります。だから、ここの頭部管を持っている奏者の中で、「吹きにくい」「つらい」と思われたり、肩こり腰痛頭痛神経衰弱にお悩みの方は我慢して吹き続けたり(きっといつか吹けるようになる!)、あきらめて中古屋さんに持ち込んだりせず、さっさと秋山さんのところに行って「ゴリゴリ削ってください!」とお願いすれば、快くゴリゴリシュカシュカウィンウィンしてくださいます。
(もちろん、最初からぴったり!と合うフルートの達人もいらっしゃると思います)
この一連の儀式を経て、世界に一本の、自分にとってちょうどいい吹奏感の頭部管が手に入れられる訳です。これがわかるようになるまで、何年もかかりました。秋山さんに「心の広い頭部管作ってくださいよ!」とお願いし続けて、秋山さんも大部軟化して下さいましたが、とはいえ、最初からバカスカ吹きまくれる今時のほとんどの頭部管もどうかな、と思います。これもまた笛吹きに失礼な話で、フルートがちゃんと音を出しますから、あなたは安心して馬鹿なままでいてください。というのですから!

現在



以前(注:間違い探しではありません)


歌口がこれくらいのサイズになると、パッと取り上げてパッと吹いても、思った通りの音色と音量になります。
あと、歌口のサイドに軽くサイドカットを入れてもらっています。ほとんど見てもわかりませんが。
これで左右のラフな息を拾ってくれるようになりました。

あくまで私見ですが、
わたしの考えるいまのところのアキヤマフルートでの理想のオーダーを覚え書として記しておきます。
もし、アキヤマを検討している方がいたら、参考になれば。頭部管のみです。

材質は銀食器のシルバー(お盆の銀がおそらく最高だと思いますが、高価なのと、どれだけ「軽く」作れるかにもよると思います)。普通のシルバーもよくできていますが、比べると、銀食器のシルバーの再精錬のもののほうが私には断然好ましい響きにおもいます。
製法は巻き管。
私は楽器全体では巻き管に全くこだわっていません。ヘルムートの後期やロットの後期のように巻き管でなくても、シームレス管を良く擦って素晴らしい響きにしてあるメーカーがありますので。ただ頭部管は巻き管であることのアドヴァンテージは100%あると思います。
あえて、音が良くなる、とはいいません。これは好みがありますし。
具体的には巻いた方が間違いなく、音が複雑で不思議な響きになります。複雑な音を好む人は多いと思います。
一言断ると、私は音フェチではありません。つまらない音は嫌いですけれど、音を一発聴いて判断できるほど音楽は単純ではないと思います。なので、理想の音を追い求めて・・・ロットに云々、とか聴くと気分悪いです・・・。ロットの良さは音が美しいだけではないので。

プレートはロットのコピーを薦めます。ただこれは楽器との相性もあるでしょう。
私は音色とコントロールの両立が一番やりやすいのはロットコピーのプレートでした。
ただし、ヘインズレギュラーにはアキヤマオリジナルのプレートのものを選択しました。
ロットのプレートは右手が下がる楽器への最高の武器です。ロットのプレートをつけたとたんに音程が安定します。

歌口のサイズはロットの中で一番大きなサイズを!と強硬に主張しましょう(笑)。
あるいはヘルムート(の中の小さめ)くらい、と言ってもいいかも。
おそらく、それでも、最初はロットの中でも標準くらいのサイズのものが出来て上がってくるはずですので、そこから先はみなさんの交渉術によります、あはは。その後2、3回通ううちに、ちょうど良い吹奏感と音色のものになるでしょう。
ただし、達人や、音が小さくても実際には困らない方はもっと小さい歌口でも全然問題ないと思います。私は指揮者に「もっと出して」と言われたら「は〜い!」と答えるしか無い立場なので。

リップの材質ですが、いま、14金のものを試していますが、
まだ確たる答えはありません。オケの中では金リップは武器になりますが、ソロだけでいいなら、あるいはオケでも2、3番奏者を吹くなら必要ないようにも思います。
落ち着いた上品な響きをおもめるなら18金のほうがいいでしょう。
派手な音は14金です。
# by francesco-leica | 2012-01-13 17:00 | 日記 | Comments(4)
アルジェリア旅行記
NRTFRALHR。フランクフルトまではANA。国際線でANAを使うのは本当に久しぶりだ。CAの細やかな配慮、機内食も充実、きれいな機内。ああ、日本の航空会社だなあ。と実感。ただし後ろに倒れないで前にのびるタイプのシートはいけない。最悪。もともと移動する空間では眠れないのだか、さらに居心地悪くて全然休めない。これだけしょっちゅう外国に行くのだからそろそろビジネスクラスの常用を考えないといけないと痛感。この十数時間の時間の使いからで、着いてからの行動力が全く違う。あとは、まったくかまってくれない、日本語通じないルフトやOSのサービスが懐かしくなる時もある。難しいものだ。向こうの空港についていきなり外国よりも、機内から徐々に英語やドイツ語に慣れていく方がうまい旅の仕方だと思うのだが。FRALHRはルフトハンザ。イギリスの入国審査は手間取るかと思っていたが、「入国目的、乗り換え、明日、アルジェリアへ」これだけですんなり、意外。今回ホテルは同行のピアニスト(高校からの悪友)が空港の近くにとってくれたので実に楽チンだ。なにせ、明日の六時にはホテルを出ているのだから。ピアニストは深夜にヨーロッパの別の場所からロンドン入りするのでロンドン在住の友人に連絡を取り一人で街へ出る。懐かしいピカデリーライン。グリーンパークで降りて記憶を頼りにボンドストリートへ出る。途中、店じまいした後のジャーミンストリート、バーリントンアーケード、サヴィルロウなど、悲鳴の出そうな好きな辺りを通る。今回は買い物をする時間はない。また今度、また今度。トリッカーズも、チャーチーズも、ニュー&リングウッドも、また今度、また今度。ニューだかオールドのボンドストリートからちょっと角にはいったところにあるコーチ&ホーシーズという伝統的なパブを友人が押さえていてくれた。おいしいエール、親切な店員、薄暗い照明、どこもかしこも薄ら寒い。これは本格的なイギリスだ。季節限定というかなりダークなエールを試飲させてもらい、それをパイント貰う。友人と、その友人と、我がピアニストを待って時間を過ごす。次の朝早いのと、ロンドンは(形の上では)結構早く電車が無くなるので次になったあたりのところでホテルに戻って、ピアニストとホテルのバーで飲み直す。ホテルの店員に「軽めの生ビールはない?」と聴くとだしてきたのはなんとドイツの我が愛するブレーメン産のベックスだった。それにしてもこの旅行は飲んでばかりだったなあ・・・。このベックス、よく知っているはずなのだが、まるでイギリスビールのような味。ピアニストにも試しに飲ませると確かに違う、という。これは他のビールでもよくあることなのだが、いったいどういう事だろう。飲みなれているはずのものが、飲む場所が変わると味が変わる、という・・・。もしかしたら、イギリス生産のライセンスかもしれない。日本のビールも、チェコでライセンスで作られたやつなんですごく美味しいもの。

そのあとホテルの部屋のネットから次の朝のオンラインチェックインを済ませて休む。もう数時間後には空港だ。

次の早朝。ヒースロー、例の薄暗くて寒くてだだっ広い空港に立つ。初めて乗る英国航空。ピアニストがJALのサファイアメンバーなのでBAのラウンジに入らせてもらいゆっくり寛ぐ。朝食もそこで取り、うまいコーヒーを飲み(紅茶をそういえば行きも帰りも飲まなかった)、素晴らしいドライシェリーとポートワインがあったので、どちらも飲む。いい気持ちで次第に明け染まってゆく空を眺める。


とうとう初めてのアフリカ入りなのだ。気分が高揚する。地中海の上空を飛ぶときはサン=テグジュペリのことを考えていた。BAはシートは最悪で、設備はおんぼろで、CAのホスピタリティは素晴らしい完璧、という事前情報通りのもの。私は・・・好きかな・・・結構。でも普段はスター系しか乗らないので今回のように仕事のお仕着せでなければなかなか味わえない。

海が終わり、薄茶色の大地が現れ、山脈が見え、街が見え、ちょこっと緑が見え、ドシン、とアルジェに着陸した。
降り立つと、温かい。アフリカを実感する。フランス語が聴こえ、アラビア語がきこえる。
イミグレーションにもやたら時間をかけて入国。ターンテーブルで荷物を待っていると今回の現地案内人のハッサンが現れた。やっと少しの英語を話す、少し気弱で誠実な若者。ピアニストは二回目の訪問なので、いろいろな友人が空港に待っていてとたんににぎやかになる。

そして我々のセキュリティー(ボディーガードね。本職は私服警察)、運転手(ベンツを操る正体不明の超イカした親父さん)も一緒になり街へ向かう。世の中にはこんなにおまわりさんがいるのね。という警察国家だ。我々のベンツにはパトカーの先導が付き、白バイ(BMW)が付く。「一人であるくな、離れるな、夜出歩くな」と注意される。そんな恐ろしい様には全然見えないのだが、どうも外国人誘拐は多いらしい。我々のベンツの中はつねにアルジェリアの民衆音楽なのか楽しげな歌声のCDが鳴り響いている。怪しい運転手さんのお気に入りなのだ。興に乗って「アルジェリームジーク、セ・ボン!!」と絶叫。いいだろ?と我々にも反応をうながすのでこちらも「セ・ボン」などと頷く。町中の古い植民地様式のホテル「エス・サフィール」(旧ホテル・アレッティ)に投宿。中は相当くたびれているが清潔だ。映画「ペペ・ル・モコ」の舞台にもなったホテル。海沿いに立つ白い建物は確かに美しく、絵になる。ここのホテルの圧巻はそのおそらく創建時から変わらないであろうエレベーターだ。扉を二重に自分で締めてボタンを押すと、ゆっくりジワジワ上り下りする。まあ、ただの木の箱だ。これに乗る時はちょっとした冒険で、なんせいきなり途中で止まったり、ちょっとした扉の接触不良で動かなかったりする。その度、客もボーイもわーわー言って集まって器械の機嫌を直すのだ。



アラブ流を体感したのは来てすぐのことだった。ホテルで初めて細かい予定表を受け取ったのだが、みると、私は次の日から延々オケの練習が入っている。なんとチャイ5の練習に5日間もとってある。少なくても始めの数日くらいは遊ぶ気満々で来ていたのでショックを受けて少々しょげていると、ピアニストが「大丈夫だ」とやけに自信たっぷりに言うのでみていると、ガイドと交渉を始めた。最初はガイド君、多少抵抗を示していたものの、ピアニストが話し続けて5分後には気弱にOK、と言っている。ピアニストが向き直って、「明日は一日観光に変更。ローマの遺跡にいけるよ」と。何度も、何度も粘り強く言い続ければ大抵のことは自分の思う通りに進展する、というアラブでのこのあと数えきれないほど経験する例の初体験だった。オケの練習なくなるのだろうか、自分だけいかなくていいのだろうか、などと思っていたが、まあ、アラブ人がいいというのだから、いいのだろう、と割り切ってレストランへ行く。このあとの1週間、海を眺めながらの食事は快適だった。ギャルソンのおじさんとも仲良くなり(といっても向こうはフランス語しかできない、こちらはフランス語できないのでほとんど片言のフランス語と英語なのだが)、気分よく過ごした。まあ、食事はほとんど羊さんか鶏さん、たまにシーフード。味の薄いちょっといじけた感じの野菜が付く。
パンは例の半分のフランスパンがおいしかった。あとはミネラルウォーター、ここまでが音楽祭の支給品。あとビールが飲みたい、ワインが飲みたいは勝手に注文してその場で支払う。このお酒は結構問題があって、町中には所謂酒屋がないのだ。イスラム教だからアルジェリア人はお酒を飲まない。なんとなく、寝る前に一杯したい、というのが最後まで出来ず、機内の免税かなにかでウィスキーでも買っておけば良かったと後々反省。

さて、昼食のあと、悪友と二人で街に出た。海岸沿いをちょっと行って帰るだけなら危なくないという。
セキュリティーといつも一緒にというのも気を使うのですすっと、ホテルの入り口(ここも厳重にチェックされている)を通過してしまう。ヤシの木など道に植っていて南国気分。ツジツジには自動小銃を構えた警官が立ち、歩く人々は足早だ。反面、なにもやることがない、という感じのお兄さんおじさんがウロウロ(失業率は相当高い)していてなんとなく危ない雰囲気もある。さあ、事件はその時起こった。なんの警戒もなく町並みの写真を撮っていたら、どうやら撮影禁止の場所だったらしい、あるいは映してはいけないことになっている警官が写っていたのか・・・なにか鋭く詰問する声がきこえたと思ったら「目がマジ」の若い警官が走ってきて私の腕をむんずと取り、私は通りの向こう側に連れて行かれた。警官なにやらアラビア語で捲し立ててさらにどこかに連れて行こうとする。どうやらお前写真を撮ったな?調べる、というような事を言っているようだ。そこで思い出した(パスポート持っていない!)ホテルでチェックインの時に預けて、まだ返してもらっていないのだ。本格的な尋問に持ち込まれるとかなり不利な状況になる。このアルジェリアに働きにきている東洋人と言えば筆頭に上がるのは中国人であり、この国の人々が日本人は尊敬と親愛の対象とみて、その反面、中国人をなぜか相当な侮蔑の対象としてみていることを考えると、言葉が通じずにパスポートも無く、ここで警察に拘束されるのはマズい。中国人に間違われたら手荒な扱いを覚悟しないといけない。実はここに来る前、1週間だけ、NHKのDVD「フランス語会話」を買って毎日みていた。それがここで役に立った。ほとんどのアルジェリア人は英語を解さないがフランス語を解する。笑顔で、自分が日本人で、東京から来て、音楽家で、この街で演奏会があること、景色が美しい!とまくし立てた。実は腕をとって引っ張られながらとっさに、さっき撮った写真は削除してあった。そしてカメラを差し出して調べてくれ、と身振りで示す。若い警官はこちらが日本人の音楽家とわかると扱いがやや慎重になった。カメラを丁寧に受け取ると再生を始める。ロンドンの風景、友人、さっき食べたご飯、ホテルの部屋・・・それで?というような写真ばかりだ。ここですかさず「No photo, no photo」と繰り返す。警官首をすくめ、「OK」とカメラを返す。OK?と聞き返すと少し笑顔になり手で、行け、と示した。散歩始まって5分でのこの最初の危機に出会って、「おいおい、やばい国に来ちまったぜ」と実感。距離を置いて見守っていた悪友のところに戻ると「おい、開始5分でこれは早すぎだろ(笑)」。そのあとは俄然行動が慎重になる。しかし、ホテルの近くのオープンカフェでミントティーを飲み、普段は手にしないマルボロなど燻らしてみるとまんざらでもない気持ちになる。


街の繁華街を一周してホテルに戻り、荷物を整理したり、部屋でネットがつながるのを確認したりしているうちにその日は暮れていった。夜、テラスに出て港を眺めると、海に映る素晴らしい満月。


翌日、朝日の昇る地中海と港を眺めながらフランスそのもののような味のカフェオレとクロワッサンを食べるのは極上の時間だった。コーヒーカップにまず砂糖、コーヒー、ミルクの順で美味しくなることも悪友に教えてもらう。たしかに味が違う。
午前から、アルジェより少し西にいった、ティパサという古代ローマの港湾遺跡へ観光に向かう。メキシコから来た若い音楽家達と同行。陽気な気持ちのいい彼らと一緒に行けたのは幸運だった。マイクロバスはパトカーの先導、複数の私服セキュリーティー、現地についたら制服警官も複数、つねに同行する。
アルジェからずっと同行の警官の一人はこのティパサの出身らしく、街のあちこちで住民から声をかけられ挨拶を受けていた。

海岸沿いの遺跡は圧巻。柱やら、階段やら、壁やら、床のモザイクやら、そのまんま残っている。手で触れられる。古代のロマン。海が美しい。覗き込むとウニが沢山転がっている。こちらの人は食べないそうだが「日本だと一個10ドルだよ」と教えると目を丸くしている。悪友が泳いでいいかと(冗談で)セキュリティーに聞くと「寒いからやめておけ」とのお返事。地中海は静かだ。さらさらとう波の音を聴いて、岩に座ってしばし時間を過ごす。古代ローマの港湾遺跡だ。
この遺跡の岩陰のあちこちはアルジェリアの青年男女が清らかな愛を語らう場となっているらしく判で押したように膝を揃えて二人で岩に座ってお話しています。


かなり広い遺跡を歩き回り、我々は腹が減った。メキシコ友人達が盛んに「シーフード!」とガイド達にアピールする。さあ、アルジェリアの法則だ。10分後には昼飯は予定変更して、この街で海の幸を食べることになった。ティパサ出身の警官の案内で、街一番というシーフードレストランへ行く。魚を指定すると、店の外で炭火で焼いてくれる。私は魚のスープとカジキマグロのグリルをお願いした。美味しかった。


夕方からついに国際オーケストラのチャイ5の練習に参加。マエストロは若いスペイン人。大分苦労している。メンバーの大半は英語を解さず、マエストロはフランス語を話せず、メンバーの一部はほぼソルフェージュが壊滅で、一部はめちゃうま、一部は幼稚園レヴェルという混成部隊。幸い、隣のフルート2番にはチュニジアの素晴らしい笛吹き、3番もアルジェリアのピッコロ奏者は上手でフルートセクションはほぼ問題ない。オーボエの二人の首席はフランス人のユーモアあふれるチャーミングなお姉さんと、ドイツで首席奏者をしているお兄さん、この二人は素晴らしかった。アングレもスイスのオケ吹きで素晴らしく上手。金管はかなり大変な感じ・・・。がんばるしか無い。

夜はホテルのカフェを初めて試す。ここのミントティーも美味しい。

次の日は午前中フリー、休憩と散歩。午後にはロンドンからもう一人の素晴らしい日本人、私より若いのにすでにロンドンでプロフェッサーのヴァイオリニストが来アルジェ、一緒にオケの練習に参加し士気上がる。夜は日本大使館の晩餐会にご招待頂く。迎えに来た、防弾仕様のトヨタランクルに乗って、内陸の「アルジェの海賊の屋敷だった」という大使公邸へ。怪談話が絶えないそうだ・・・。すごい立派、そしてすごい警備。おいしい料理を頂き、大使、大使夫人との楽しい時間を過ごす。

翌朝は国営テレビの朝の情報番組に生出演。スタジオにいくとフランス語でのインタビューが判明してうろたえる。大使館の書記官の方が通訳に入り解決。
途中で、一度シリア関係の緊急ニュースが入って途切れたがおおむねスムーズ。

夜、文化宮殿で日本勢だけの演奏会。私はヴォイスを吹きわめき喝采を頂く。悪友は「月光ソナタ」。ヴァイオリンはフバイの「カルメン」、度肝抜く迫力。お客さんは満席、実に反応がいい、熱い。終演後、老若男女押し寄せていきて、写真攻め、サイン攻め、こうもモテるとは。。。いい国だ!!来てよかった。


翌日、アルジェの旧市街、独立戦争の市街戦の舞台にもなったカスパ訪問。下町のなかの下町。この日はセキュリティーが3人ついた。お店と人がひしめき合い、様々な物が売買されるカスパの市場、興味深いが、なんとなく危険な香りがあって、カメラを構えるのは剣呑な感じだ。ガイドに聞くと「危なくってアルジェリア人でもいかないよ!」とか、「昼はいいけど夜は絶対いかない」とか、ヤバい名所らしい。まるで迷路のような入り組んだ坂道を、セキュリティーのおじさんは庭の散歩のようにわかりきった様子で登って行く。我々はそれに黙ってついて行くだけ。それでも山肌の頂上に近いところで視界が開けると素晴らしい地中海が眼前に広がったりするさまをみると歓声があがる。

一度ホテルに戻ってセキュリティーと別れてから、ガイドのハッサンたちとカフェでお茶。


次の日に悪友ピアニストは帰国。あとはポンニチ笛ヴァイオリンコンビで乗り切ることになる。オケはホール練習へ。マエストロはなんと元笛吹きであることを告白、一緒に記念写真を撮った。「文化宮殿」なる実に社会主義的な名前の巨大な建物の中の小さな会場。かなりの事故を経ながら、吹き出したくなるのを押さえつつ、でもたまに実にいい味を出しつつ本番終了。多くのヨーロッパ人、アラブ人と一緒にチャイ5の頭を吹かせてもらったというのは・・・すごい経験かも知れない。
アキヤマさんの新頭部管も炸裂。


さあ、そろそろ思い出すのも、書き尽くす作業にも飽きてきました。あとはもう、その日はおいしいビールを飲んで寝たこと。次の日、ロンドン経由で帰ったこと。それくらい。帰りのBAでと〜ってもかわいいCAさんがいてああいいなあ、見とれて過ごしたことと、ヒースローでは多少の買い物をして、ポンドが想像以上に安くなっており、ブランド品がとんでもなく安く買えたのでした。

帰りは直接、LHRNRTのANA。やはり新シートは最悪・・・。でも日本の航空会社の良さもちゃんとわかりました。


# by francesco-leica | 2012-01-07 21:34 | その他の国旅行記 | Comments(2)
帰国
12月26日からの中国滞在を終え、帰国しました。

成田に着いた時、へなへなになりそうに安心しました。日本、本当に!!!いい国です。ヨーロッパから帰る時は成田で辟易することが多いのですが、今回はもう日本万歳!という気分。相当中国ではストレスを感じていたのかも知れません。
中国は歴史と文化を誇る偉大な国ですが、民度のものすごく低い(もちろんこちら側からみたら、ですが)有様をみる度に最後のほうは率直に不快と怒りを感じるようになってきました。「親の顔がみたい(別にみたくないけど)」とはこの事か。しつけのなっていない方たちにこちらが我慢する必要はないので、後半は積極的に喧嘩(抗議、威嚇、苦笑)するようにしていました。そうすると、不思議に彼らは明らかに自分が悪いときは謝るか、譲るか、するのです。大陸ではあたりを強めで、これが基本です。

我が祖国にもっと誇りを持たないといけません。
素晴らしい国です、日本は。こんなに清潔で、趣味が良くて、控えめで、静かで、親切な国はないと思う。他の国の良さも、自分の国の良さも、ちゃんと子ども達に教えているのかしら、我が国の教育は。


それにしてもアルジェリア→中国。ディープでした・・・。

そして、時間があれば旅行記をこちらに書こうと思っていますが(アルジェリア編執筆中)、中国での辟易体験と共に、北京飯店で食べた支那料理のおいしさ、思い出しただけで恍惚とするほど。人生最高の支那料理体験でした。他とはまったく比べられない。あれを食べるためだけに、また北京にいきたいです。

先ほど帰宅し、お雑煮を食べ、美味しい紅茶にケーキを食べ、お寿司を食べに行き。
人心地つきました。


銀座ピエスモンテのショートケーキ。

寝ます。10日ぶりの熟睡かな。
# by francesco-leica | 2012-01-06 00:45 | 日記 | Comments(0)


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